未来へ逃走妙なる自由
巻上公一の声の可能性
巻上公一は、さまざまな声を使ったパフォーマンス、口琴やテルミンやコルネットなどの演奏、フェスティヴァルのプロデュース、詩作……など、多方面での唯一無二の活躍で知られる。
公式サイトの自己紹介は〈超歌唱家、ソングライター、詩人、プロデューサー〉。その下に小さく〈ヒカシューのリーダー、日本トゥバホーメイ協会代表、Jazz Art せんがわプロデューサー〉ともある。19年からは熱海未来音楽祭のプロデュースも手がけている。
彼の型破りな音楽を聞いた人は、さぞかし変わった人にちがいないと思うのではないだろうか。口から泡を吹くような音や田中角栄のいびきかとみまごう声のパフォーマンスをやることもあるから、どんなふうにみなされても仕方がないとは言える。
しかしだからといって、彼はふだんから宇宙人のような言葉をしゃべっているわけではない。ホーメイのふるさとであるロシアのトゥバ共和国のフェスティヴァルの審査員や、日本著作権協会の理事をつとめているくらいだから、社会人としてのつとめも立派に果たしている(笑)。ぼくがその協会のワールド・ミュージックのイヴェントをコーディネイトしていたときは、いろいろご配慮いただいた。足を向けて眠れない。渋谷区の公開講座でホーメイ(喉歌)の話をしてもらったこともあって、ただごとではない知識の熱量もこの目で確認ずみだ。だからFCA(Foundation for Contemporary Arts)の2024年度の助成アーティストに選ばれたニュースを聞いたときも喜びこそすれ驚きはなかった。
FCAは現代美術家のジャスパー・ジョーンズと現代音楽家のジョン・ケージによって創造的なアートを奨励、支援、促進ことを目的に1963年に設立された基金だ。
FCAのサイトによると、マース・カニングハムのダンス・カンパニーのブロードウェイ公演のために、ジャスパー・ジョーンズやジョン・ケージやロバート・ラウシェンバーグが作品を売って資金を捻出。それが成功したので、基金化して他の現代アートの関係者も助成することになったもの。
アーティストがアーティストを支援する基金は世界的にも珍しく、これまでに1000人以上の作家/パフォーマーが基金を支えるために貢献。助成者の範囲は、ダンス、音楽/サウンド、パフォーマンス、演劇、詩、美術など年と共に広がってきた。対象者は個人、グループ、組織を問わないが、近年は個人を重視している。
初期の助成者には、メレディス・モンク、トリシア・ブラウン、トゥワイラ・サープ、モートン・フェルドマン、フィリップ・グラス、ラ・モンテ・ヤング、スティーヴ・ライヒなど、そうそうたる名前が並んでいる。日本人も音楽/サウンド関連では、高橋悠治、刀根康尚、小杉武久、モリイクエ、一柳慧、灰野敬二ら少なからぬ人が助成を受けてきた。
FCAのサイトには「能力、年齢、性別、地理、人種、宗教、性的嗜好、社会経済的地位に必ずしも限定されない横断的な独自性を持つアーティストを支援する」とあるが、これまでの受賞者を見るかぎり、ある種のかたよりがあることは否めない。たとえばアフリカや西アジアのアーティストの数は少ない。もっともそれはこの地域にこの基金が対象としているようなアートを必要とする環境がないか、あるいは審査員の目にとまりやすいところで活動している人が少ないからかもしない。
巻上公一の音楽を最初に知ったのは、まだ半世紀には少し足りないが、79年に彼がヴォーカルをつとめるヒカシューの“20世紀の終りに”“プヨプヨ”などの曲を聞いたときだった。
当時ヒカシューはプラスチックスやP-MODELと共に〈テクノ・ポップ御三家〉(笑)として紹介されていた。たしかに電子音も少しは使い、リズムにポスト・パンクな感覚があった。
しかし擬古的なのに未来的な言葉遣いやうたいまわしからは、アンダーグラウンドな小劇場的音楽をやるグループという印象を受けた。実際、彼が東京キッドブラザーズにいたことを知ったのは、少したってからのことだ。日常的な物語性が脱臼していくような歌や演奏は、音楽的要素はちがったが、上野耕路、太田螢一、戸川純によるゲルニカの音楽の先駆的存在でもあったと思う。