現代のブラジル音楽界を代表するアーティスト
5年ぶり待望の来日決定!
2007年5月26日、マリーザ・モンチのZepp名古屋での公演は、前年に発表されたアルバム『私の中の無限(Infinito Particular)』の冒頭を飾るタイトル曲で始まった。ただし、ステージに照明が当てられることは一切なく、真っ暗闇の中で歌と演奏が進められた。音だけにオーディエンスを集中させ、曲が終わる頃にやっとスポットライトが当てられ、ステージ後方の壇上にいたマリーザの姿が暗闇の中から浮かび上がるといった演出が施されていたのだ。僕は、その後の5月29日と30日、Bunkamura オーチャードホールで行なわれた東京公演も連続で観たから、間違いない。ところが、初日の名古屋公演だけはオールスタンディング形式で、しかもオーディエンスの中には、おそらく愛知県周辺から駆けつけてきたと思しき在日ブラジル人の方々をたくさん見かけた。彼らの多くは、マリーザを一刻も早く目にしたかったのだろう。“私の中の無限”の途中から携帯電話(スマホではない)を頭上に掲げ、暗闇の中で、しきりにカメラのフラッシュライトをステージに向けていたのだ。ただし、その行為によって、マリーザ側の意図がまったく無駄になったかというと、そうではなかった。最近4Kレストアとして公開されたトーキング・ヘッズのライヴ・ドキュメンタリー映画「ストップ・メイキング・センス」(1984)の中で、ミュージシャンや楽器のシルエットがホリゾントに映し出されるように、暗闇の中からマリーザとバンドのメンバーの姿がしばしば浮き上がり、むしろカッコ良いと僕は感じた。僕の中では、2007年5月26日のマリーザの名古屋公演は、生涯で観たライヴのベスト3に入る。
僕はこの原稿を執筆するにあたって、マリーザの最近のコンサートの映像を観た。2022年10月にマリーザの自宅があるリオデジャネイロのガヴェア地区の会場で行なわれたコンサートの映像だ。フロアを埋め尽くしたオーディエンスはオールスタンディングで、中にはスマホのカメラでライヴの模様を撮影している人もいる。だからこそ僕は、07年の名古屋公演のことを思い出したのだが、パンデミックの期間を経てのコンサートだけに、マリーザたちとオーディエンスがひとつの場と時間を再び共有することができたことへの喜びがあふれ出ていたし、その幸福感はオーディエンスの表情や大合唱からも伝わってきた。
マリーザ・モンチは2022年から23年にかけて、現時点での最新オリジナル・アルバム『ポルタス(Portas)』(2021)に合わせたツアーを実施し、ブラジル国内を中心にアメリカ合衆国とカナダ、ラテン・アメリカのアルゼンチン、ウルグアイ、チリ、そしてポルトガルやスペインなどヨーロッパの6ヵ国を廻った。このツアーでは、トータルで50万人以上のオーディエンスを動員。そして昨年12月に、最新ライヴ・アルバム『Portas Ao Vivo』をデジタル・リリースした。
こんなマリーザ・モンチが2024年5月11日(土)、恵比寿のザ・ガーデンホールでオールスタンディング形式のライヴを行なう。彼女の来日公演は、2019年に東京・日本橋三井ホールで行なわれたモントルー・ジャズ・フェスティバル・ジャパンでのライヴ以来、5年ぶりのことだ。
今回のマリーザ・モンチの来日公演は、恵比寿ガーデンプレイスが開業30周年を迎えることを記念して5月10日から13日にかけて開催される〈~YEBISU GARDEN PLACE 30th Anniversary~ EBISU Bloomin’ JAZZ GARDEN〉の一環としてのもの。ザ・ガーデンホールでは、10日に台湾出身のシンガー、9m88をゲストとして迎えた黒田卓也 & special guest 9m88、12日にUKのユニット、ブルー・ラブ・ビーツ(Blue Lab Beats)のライヴが行われる。また、5月11日のザ・ガーデンルームでは〈PREMIUM SALSA NIGHT〉、YEBISU GARDEN CINEMAではフェスティバルと連動した特別上映イヴェントが5月10日から23日にかけて開催される。その他、センター広場での特設ステージでは入場無料のライヴやDJプレイなどが行なわれ、時計広場には恵比寿周辺の人気飲食店によるフードトラックが集まる。なお、マリーザは5月10日にブルーノート東京でも一回だけ単独公演を行うが、こちらは発売してすぐにソールド・アウト。会場のキャパシティを考えると、当然だろう。
今回マリーザ・モンチと一緒に来日するバンドは、Dadi(ベース)、Davi Moraes(ギター)、Pupillo(ドラムス)、Pedrinho da Serrinha(パーカッション)といった編成。前記のリオでのコンサートに参加していたキーボード奏者と3人のホーン・セクションは残念ながら同行しないものの、いずれもマリーザにとって気心の知れた仲間たち。中でもベーシストのダヂは、約20年間にわたってマリーザのバンドの音楽ディレクターを務めてきた。こうしたバンド・メンバーたちと一緒の来日、しかも前述したようにすでに世界各地でライヴを重ねてきた上での来日公演だけに、なおさら期待が膨らむ。
マリーザ・モンチの来日公演は、今回で通算4回目。僕はマリーザが92年6月に初来日した際、彼女にインタヴューした。場所はホテルの一室でもなければ、レコード会社のオフィスでもなく、ライヴ会場の渋谷クラブ・クアトロから歩いて数分のところにある某喫茶店の談話室。当時はまだブラジルの国民的歌手ではなく、一人の新進アーティストに過ぎなかった彼女の扱いは、この程度のものだった。ただ、そのときのインタヴューでマリーザは、こんなことを語ってくれた。
「ブラジルは過去を持たない国。国民の大半は音楽のアーカイブに関心がなく、過去の偉大な遺産を振り返ろうとしない。だから、いわゆるブラジル音楽の名盤さえ容易に手に入れることができない」
マリーザ・モンチが前年の91年に発表したセカンド・アルバム『マイス(Mais)』 は、後にも一緒に仕事をすることになるアート・リンゼイが初めてプロデューサーを務めた作品で、当時ニューヨークを拠点としていた坂本龍一やマーク・リボー、バーニー・ウォーレル、ジョン・ゾーン等が参加した。つまり『マイス』はブラジル国内だけではなく、全世界に向けたアルバムだった。その一方で、マリーザは『マイス』で、カエターノ・ヴェローゾの“De Noite Na Cama”、カルトーラの“Ensaboa”、ピシンギーニャの“Rosa”、さらにはブラジル北東部の伝承歌であるクリスマス・ソング“Borboletta”といった、過去の偉大な遺産であるブラジル音楽の曲をカヴァー。しかも、各々の曲を斬新なアレンジで仕上げていた。だからこそマリーザの発言は説得力に富んでいて、彼女はたいへん聡明な女性だという印象を僕は家に持ち帰った。
マリーザ・モンチの過去の偉大なブラジル音楽に対する姿勢は、ポルテーラの草創期メンバーや長老で構成されたヴェーリャ・グァルダ・ダ・ポルテーラ(Velha Guarda da Portela)のアルバム『トード・アズール(Tudo Azul)』(2000)をプロデュースしたり、彼女自身も出演したドキュメンタリー映画「ミステリー・オブ・サンバ 眠れる音源を求めて(O Mistério do Samba)」(2008)の製作を買って出たことにも表れている。
が、マリーザ・モンチが単なる伝統回帰主義者でないことは、これまでの彼女のアルバムやライヴが証明している。彼女は、来たる5月11日の来日公演でも、ブラジル音楽の〈過去〉と〈現在〉、そして〈未来〉を同時に感じさせてくれるに違いない。
マリーザ・モンチ(Marisa Monte)
ブラジル/リオ・デ・ジャネイロ出身。名門サンバ・チーム〈ポルテーラ〉の役員の父親の影響もあり、幼い頃からブラジル伝統音楽、ポップ、ジャズ、ロックと多彩な音楽に触れながら育ち、イタリアでオペラを学んだ。19歳で衝撃的なプロ・デビュー・ライヴ。繊細なヴォーカルと生音をきかせるしなやかな音楽性で圧倒的な評価を得る。アルバム『マリーザ・モンチ』『ローズ・アンド・チャコール』はローリング・ストーン誌ブラジル版によってブラジル音楽史上ベスト100アルバムに選出。同誌はマリーザのことを〈現存のブラジルのシンガーとして最も重要な存在〉と評している。
寄稿者プロフィール
渡辺亨(わたなべ・とおる)
音楽評論家。著書に「音楽の架け橋」、「プリファブ・スプラウトの音楽」、「女性シンガー・ソングライターの系譜」。NHK-FM「世界の快適音楽セレクション」の選曲と出演。4月初旬にシルビア・ペレス・クルスと再会したばかりで、5月にはマリーザ、メロディ・ガルドーも来日……今から幸福感に包まれています。
LIVE INFORMATION
MARISA MONTE
2024年5月10日(金)ブルーノート東京 *SOLD OUT
開場/開演:18:00/19:00
■出演
マリーザ・モンチ(ヴォーカル/ギター)/ダヂ(ベース)/ダヴィ・モライス(ギター)/プピーロ(ドラムス)/ペドリーニョ・ダ・セヒーニャ(パーカッション)
https://www.bluenote.co.jp/jp/artists/marisa-monte/
~YEBISU GARDEN PLACE 30th Anniversary~
EBISU Bloomin’ JAZZ GARDEN
2024年5月11日(土)ザ・ガーデンホール
開場/開演:18:00/19:00
https://jazzgarden.jp/