読書と歴史の不自由に読み手を引きずりこむ
本書の本当の意味で啓発的な点は、〈歴史を紐解いても、働きながら読書を楽しむヒントはなかった〉という否定的な発見に存する。〈近現代の日本に読書の自由はなかった〉という認識を育むことが、本書の解放的なポイントである。
人間が自由意志でできることは存在せず、唯一認識することだけに自由の感触は存在するという内容を記したのは、「エチカ」におけるバールーフ・デ・スピノザである。歴史の不自由を知ることで、抽象的な自由を諦めることができる。上記の効能を持つ点で、本書は大まかにいってスピノザ的な態度を有している。不自由さに粘り強く付き合う資質を持つ本書が多く売れている事実は、悪いことではないように思える。
三宅香帆は、身も蓋もない不自由さに、自己啓発のマスクをかけて差し出す。何らかの解決を提示しているかのように振る舞う。そうした二重の態度は、三宅の別の新著でもある「娘が母を殺すには?」においても踏襲されている。「萬葉(万葉)集」を専門に京都大学大学院博士課程まで進んだ三宅は、著書を読む限り、歴史の提示に敏感な書き手に思える。
本書における〈ノイズ〉の記述は、三宅自身の方法を示している。ノイズのない自己啓発書と理解させておいて、歴史のノイズを多くの読み手に共有させること。自らの抱えるノイズに、大勢を引きずりこむこと。それが、歴史を批評的に掘り崩す作家としての、三宅の戦略である。
BOOK INFORMATION

発売日:2024年4月17日
ISBN:978-4-08-721312-6
価格:1,100円(税込)
新書判/288ページ
目次
まえがき 本が読めなかったから、会社をやめました
序章 労働と読書は両立しない?
第一章 労働を煽る自己啓発書の誕生―明治時代
第二章 「教養」が隔てたサラリーマン階級と労働者階級―大正時代
第三章 戦前サラリーマンはなぜ「円本」を買ったのか?―昭和戦前・戦中
第四章 「ビジネスマン」に読まれたベストセラー―1950~60年代
第五章 司馬遼太郎の文庫本を読むサラリーマン―1970年代
第六章 女たちのカルチャーセンターとミリオンセラー―1980年代
第七章 行動と経済の時代への転換点―1990年代
第八章 仕事がアイデンティティになる社会―2000年代
第九章 読書は人生の「ノイズ」なのか?―2010年代
最終章 「全身全霊」をやめませんか
あとがき 働きながら本を読むコツをお伝えします
PROFILE: 三宅香帆
文芸評論家。1994年生まれ。高知県出身。京都大学大学院人間・環境学研究科博士前期課程修了(専門は「萬葉集」)。著作に「(読んだふりしたけど)ぶっちゃけよく分からん、あの名作小説を面白く読む方法」、「推しの素晴らしさを語りたいのに「やばい!」しかでてこない―自分の言葉でつくるオタク文章術―」、「文芸オタクの私が教える バズる文章教室」、「人生を狂わす名著50」など多数。