話題のベストセラー、三宅香帆「なぜ働いていると本が読めなくなるのか」。誰もが読みたくなってしまう書名のインパクトもさることながら、日本人の仕事・労働と読書の関係を掘り下げたユニークな視点が示唆に富む一冊だ。今回は本書を、批評家/ライターでYouTuberの伏見瞬に評してもらった。 *Mikiki編集部

日本人が歓びのため読書した時代などなかった
本書は、自己啓発書のマスクをかぶった歴史書・批評書である。
批評家・三宅香帆は、読書好きの自分が就職して本が読めなくなった体験から、労働と読書の関係を考え始めたという。本書では、明治から現代にいたるまでの、日本における読書の社会的価値の変化について述べていく。明治では立身出世のために、エリート層にとって読書は必要な営為だった。大正では日露戦争以後の時流に端を発する社会不安から、社会主義を説く本が読まれた。戦後にはサラリーマンの娯楽として、バブル期には女性の階級上昇のために。
こうした読書の歴史の閲覧から読み取れるのは、そもそも多数派の日本人が読書そのものの歓びのために本を読んだ時代など一度もなかったという、身も蓋もない事実だ。〈本を読む〉こと自体を楽しんでいる人間は、常に少数派だった。あったとしても、サラリーマンが仕事のストレスを癒すために使うお手軽な読みものに過ぎない。〈読書離れ〉は延々と言われている言説だが、日本人が出世や軽い慰み以外の目的なしに読書に近づいた時期など一度もなかったことが、本書では示される。
読書は生活にとってノイズ
そのうえで三宅は、読書とは基本的に生活にとってノイズであり、例外的に自己啓発書はノイズを取り除くものとして機能すると分割する。本が読まれないにもかかわらず自己啓発書は多く読まれている現在の状況を、〈ノイズの忌避〉の傾向に求める。今の時代は、〈コスト意識〉という名のもとに〈ノイズ〉を避ける時代なのだと。
ところで、本書はよく売れているらしい。10万部は軽く超えたと聞くし、実際、駅の本屋では一番目立つ位置に面陳されており、電車で目の前の男性が本書を読んでいるのを筆者は目にした。おそらく多くの人にとって本書は、自己啓発書の機能を有する。趣味を楽しむ余裕もないまま生活を労働に飲まれてしまっている人々が、どのように日々を楽しむことができるか。その処方箋として、全身全霊で生きることを美徳としない、〈半身〉での生き方を最後に提示する。結論まで読むと、生活で蓄積したノイズの取り除かれる感覚が生じるように、本書は設計されている。
しかしながら、〈全身全霊をやめて半身を〉という提案は、本書が多くの言葉を費やす労働と読書の歴史から導かれるものではない。歴史の上に〈全身全霊で働いたから日本人は本を読めなかった〉という因果関係はなく、単に昔から多数の日本人は読書自体に興味を持たなかったという結論が生じるのみである。三宅の記述は、その点はぼかしつつ、個人の生き方の問題へと結論をシフトさせている。
読書と歴史の不自由に読み手を引きずりこむ
本書の本当の意味で啓発的な点は、〈歴史を紐解いても、働きながら読書を楽しむヒントはなかった〉という否定的な発見に存する。〈近現代の日本に読書の自由はなかった〉という認識を育むことが、本書の解放的なポイントである。
人間が自由意志でできることは存在せず、唯一認識することだけに自由の感触は存在するという内容を記したのは、「エチカ」におけるバールーフ・デ・スピノザである。歴史の不自由を知ることで、抽象的な自由を諦めることができる。上記の効能を持つ点で、本書は大まかにいってスピノザ的な態度を有している。不自由さに粘り強く付き合う資質を持つ本書が多く売れている事実は、悪いことではないように思える。
三宅香帆は、身も蓋もない不自由さに、自己啓発のマスクをかけて差し出す。何らかの解決を提示しているかのように振る舞う。そうした二重の態度は、三宅の別の新著でもある「娘が母を殺すには?」においても踏襲されている。「萬葉(万葉)集」を専門に京都大学大学院博士課程まで進んだ三宅は、著書を読む限り、歴史の提示に敏感な書き手に思える。
本書における〈ノイズ〉の記述は、三宅自身の方法を示している。ノイズのない自己啓発書と理解させておいて、歴史のノイズを多くの読み手に共有させること。自らの抱えるノイズに、大勢を引きずりこむこと。それが、歴史を批評的に掘り崩す作家としての、三宅の戦略である。
BOOK INFORMATION

発売日:2024年4月17日
ISBN:978-4-08-721312-6
価格:1,100円(税込)
新書判/288ページ
目次
まえがき 本が読めなかったから、会社をやめました
序章 労働と読書は両立しない?
第一章 労働を煽る自己啓発書の誕生―明治時代
第二章 「教養」が隔てたサラリーマン階級と労働者階級―大正時代
第三章 戦前サラリーマンはなぜ「円本」を買ったのか?―昭和戦前・戦中
第四章 「ビジネスマン」に読まれたベストセラー―1950~60年代
第五章 司馬遼太郎の文庫本を読むサラリーマン―1970年代
第六章 女たちのカルチャーセンターとミリオンセラー―1980年代
第七章 行動と経済の時代への転換点―1990年代
第八章 仕事がアイデンティティになる社会―2000年代
第九章 読書は人生の「ノイズ」なのか?―2010年代
最終章 「全身全霊」をやめませんか
あとがき 働きながら本を読むコツをお伝えします
PROFILE: 三宅香帆
文芸評論家。1994年生まれ。高知県出身。京都大学大学院人間・環境学研究科博士前期課程修了(専門は「萬葉集」)。著作に「(読んだふりしたけど)ぶっちゃけよく分からん、あの名作小説を面白く読む方法」、「推しの素晴らしさを語りたいのに「やばい!」しかでてこない―自分の言葉でつくるオタク文章術―」、「文芸オタクの私が教える バズる文章教室」、「人生を狂わす名著50」など多数。