舘ひろしと柴田恭兵が最強のバディ、タカとユージに扮して横浜を舞台に大暴れする大人気シリーズ「あぶない刑事」。テレビドラマの放映開始から38年、劇場版としては8年ぶりの新作となった映画「帰ってきた あぶない刑事」は、今年5月に公開されるやいなや往年のファンを中心に熱狂的な盛り上がりを見せ、観客動員数100万人突破の大ヒットを記録している。
現在は俳優業をメインに活躍しているが、「あぶ刑事」シリーズの多くで主題歌や挿入歌を担い、ヒットチャートを賑わせるなど、共に〈歌手〉としても時代を駆け抜けた舘ひろしと柴田恭兵。今回、そんな2人のシンガーとしての溢れる魅力を、音楽ライターの桑原シローが綴った。まずは、舘ひろしにスポットを当てたコラムをお届けする。 *Mikiki編集部
クールスとしてデビュー 不良っぽいのに根はロマンティスト?
舘ひろしの音楽キャリアは、自身がボスとして君臨したロックバンド〈クールス〉のメインボーカリストとしてスタートする。バンドとしては、矢沢永吉やジョニー大倉が在籍した〈キャロル〉の親衛隊だったバイクチームからの選抜メンバーで構成されただけあって、音楽的スタイルはキャロルを踏襲した50s調のロックンロールが主軸を成し、作詞・舘ひろし、作曲・矢沢永吉(五大洋光名義)、編曲・近田春夫によるデビュー曲“紫のハイウェイ”(1975年)などのグッドオールドロックナンバーを次々にリリースして人気を博していく。
それにしても、舘ひろし初の映画出演作となった「暴力教室」の挿入歌“恋のテディー・ボーイ”(1976年)に顕著だったりするけれど、歌声の端々から純情なハートが透けて見えてくるところ、このあたりが当時の女子たちの柔らかい部分をガッチリ掴んでいたことは間違いないだろう。蒼い炎をメラメラと燃やす、やぶれかぶれなシャウトを聴かせていても、根がロマンティストだという本質がチラチラ見え隠れしているし、ついつい〈不良とは、優しさの事ではないかしら。〉という太宰治の「斜陽」に登場する有名なフレーズを思い出してしまったりするのである。
石原軍団加入後に“泣かないで”がヒット ボーカリストとしての美意識が完成
そんな彼の歌に独特のダンディズムが漂い始めるのは、ニューヨークでレコーディングを行なったアルバム『BABY DOLL』(1980年)あたりだったか。織田哲郎が作曲した“夜明けの別れ(MY LOVE SONG)”などのロッカバラード系においてその傾向が顕著に現れていて、ここにきて低音をカッコよく聴かせる歌唱術を習得したという印象が強い。
そしてあの金字塔的存在となるヒットソング“泣かないで”(1984年)が登場する。名門事務所〈石原プロモーション〉入りを果たし、役者業もすっかり板についた頃にリリースされたこのシングルは、シンガーとして格段にアップした表現力を堪能させてくれる機会となった。しなやかかつなめらかに、ゆらゆらと揺れる声の震えはどこかブライアン・フェリーを思わせるものがあり、とことんムーディー。以前にも増して濃厚さを醸す歌声はアジアン風味のエスニックなサウンドとの相性もバッチリで、ボーカリスト・舘ひろし的美意識がいよいよ完成に至った作品であると評価したい。