タワーレコード新宿店~渋谷店の洋楽ロック/ポップス担当として、長年にわたり数々の企画やバイイングを行ってきた北爪啓之さんによる連載〈聴いたことのない旧譜は新譜〉。そのタイトル通り、本連載では旧譜と称されてしまった作品を現在の耳で新譜として紹介していきます。
第4回は、今年デビュー50周年を迎えるクールスを大特集。青春時代にクールスと出会い、強い思い入れを持つ北爪さんがスタジオアルバム14作のレビューに挑みました。今回はアルバムレビューの前編をお送りします。*Mikiki編集部
真に評価されるべきクールスの幅広い音楽性
もしあなたがクールスを〈不良のロックンロールバンド〉としか思っていないのであれば、それは大きな勘違いである。いや、もちろんそうした要素もあるのだけど、それはあくまで彼らの一つの側面に過ぎないのだ。今回の記事はぜひそのことを念頭に置きながら読んで頂けると有り難い。
今年はクールスにとってデビュー50周年という大きな節目のアニバーサリーイヤーである。クールスは当初、舘ひろしと岩城滉一を中心に総勢21名のバイクチームとして結成されたが、1975年に行われたキャロルの解散コンサートにて親衛隊を務めたことで一躍注目を浴びることになった。その後キングレコードに説得されたことで7人組バンド(結成時は8人)として同年にレコードデビューを飾ったのである。
そんな経緯もあってかクールスといえば〈バイク、革ジャン、リーゼントの不良バンド〉という、音楽性よりもファッション性のイメージが先行して定着してしまった感は否めず、それゆえ評論家や音楽メディアからはほとんど正当な評価を受けることがないまま黙殺されてしまった。たしかに元々音楽の素養があるメンバーは1人しかいなかったのだけれど、じつはその1人=ジェームス藤木(ギター)がとてつもない才能の持ち主だったこともまた、偏向したイメージのせいで世間にはまるで認知されなかったのである。
もっとも、嗅覚の鋭いミュージシャンたちは彼の凄さをとうに見抜いていた。山下達郎は2002年の「ギター・マガシン」誌において、「実は僕はこの人(ジェームス)に絶大な影響を受けているんですよ。はっきり言って天才と呼ぶに相応しい人〉と絶賛しているし、近田春夫は2019年のCD Journalの対談で、〈俺がジェームスを好きなのは(中略)、ずっと踊りながらね、ギターをカッティングしてるとこ。これをできるギタリストって、あとはポール・スタンレーだけだよ」と語っている。
クールスはジェームスの天才的な音楽センスを主軸にしつつ、彼に触発された他のメンバーや途中加入した横山剣(現クレイジーケンバンド)らの個性も加わったことで 単なるロックンロールの枠組みには到底収まらない幅広いスタイルを持ったバンドへと進化していったのである。
クールスとの奇特な出会い
僕がクールスを知ったのは1986年、中学2年生のときだった。なぜか当時の我が校の(品行があまりよろしくない)生徒の間では50sのロックンロールやポップスが流行っていたのだが、その流れでクールスを聴いている連中も少なくなかった。なにしろ僕が片想いしていたミコちゃん(仮名)だって卒業文集に“恋のテディー・ボーイ”のキザな歌詞を寄せていたほどである。
思えばクールスは当時すでに活動を休止していたし、そもそも普通の中坊が聴くようなメジャーな存在でもなかった。だからこそ僕はあの時代錯誤的な中学での奇特な出会いに心から感謝しているのだ。なぜならば“Mr.ハーレー・ダビッドソン”や“CINDERELLA LIBERTY”を繰り返し聴いていたあの夏から約40年経ったいまでも、僕はやっぱりクールスが大好きなのだから。
今回はクールスのデビュー50周年を記念して、そして残念ながら今年3月に鬼籍に入ってしまったリーダーの佐藤秀光氏への追悼の意も込めて、ライブ盤や編集盤を除いた全スタジオアルバムのディスクレビューという、なかなかにやり応えとボリュームのある企画を前後編にわけて特集したいと思う。