すべてを失ったあと音楽が残った
――いい話ですね。バンド活動や音楽業界から離れたtetsuさんが改めてB.I.J.をスタートしたきっかけは?
「99年に独立して起業したところ、その会社が株式公開して一時は時価総額75億とかになったんです。でも、悪い奴らにハメられて、2015年にすべてを失いました。会社や家族を失い、逮捕もされて110日間拘留されたんです。そこで、これから何をしようかと考えたとき、もうこうなったら自分の好きなことだけをやろうと。シャバに出たら好きな音楽の仕事を始めようと思ったんです」
――そんな背景があったとは……。
「かつ、もう一回ちゃんと勉強しようと思って大学院に通い、MBA(経営学修士)を取得したんです。その修士論文でテーマにしたのが〈ビッグ・イン・ジャパン〉。なぜ日本でああいうムーヴメントが起こったのかを研究しました。そうすると、いくつかのパターンを見つけられたんです。男女混合のバンドがいいとか、メンバーに兄弟がいるといいとか。このレーベルはその研究で出した仮説が実際に正しいかどうかの実証実験でもあるんですよ」
――すごい。
「あと、やっぱりいくら好きなバンドであっても解散しちゃうじゃないですか。その理由のひとつはセールスが伸びないからやと思うんです。レコード会社との契約を切られて、日本盤も出せないし、当然来日もできない。だったら、自分にできることがあればサポートしたい。なんなら〈ビッグ・イン・ジャパン〉になってほしい。それが最大の動機ですね。ちなみにtokyo honey trapは、B.I.J.を設立してから始めたんです。B.I.J.は世界中のヘンテコなバンドを集めてるんだけど、僕は昔から洋楽志向なので日本に推したいバンドがいない。それなら、もう自分でやったらいいやとtokyo honey trapを組んだんです」
――tokyo honey trapの音楽性は当初から確立されていたんですか?
「効果音を同期するためにラップトップを使ったりはしていますけど、シンプルにグラム・パンクをやるという方向性は変わらないですね。あとベースが女の子というのは決めていました」