坂本龍一との邂逅、そして作品に宿る精神「ありがとう」の言葉が託した、未来への音楽
2026年10月、東京・北とぴあ さくらホールで開催される〈栁澤寿男指揮 バルカン室内管弦楽団 Plays 坂本龍一〉。本公演は、2023年3月に逝去した坂本龍一の作品を、世界平和を理念に掲げるバルカン室内管弦楽団が演奏する特別公演が実現する。そして本公演には、坂本龍一が生涯を通して追い求めた〈音楽による共生〉という思想と、それを受け継ぐ指揮者・栁澤寿男の歩みが重なっている。
栁澤が創設・音楽監督を務めるバルカン室内管弦楽団は、2007年、旧ユーゴスラビア紛争によって分断された民族・宗教・国家を音楽によって再び結び直すことを目的に誕生した。かつて敵対していた演奏家たちが一つのオーケストラで演奏する姿は、世界でも稀有な文化的和解の象徴として高く評価されている。
その活動を続ける栁澤のもとへ、ある日、坂本龍一から一本の連絡が届いた。「東日本大震災からの復興支援として設立する東北ユースオーケストラで指揮をしてほしい」。坂本龍一が震災復興に寄せる真摯な思いに、栁澤は深く心を動かされたという。
「私は旧ユーゴスラヴィア各地で民族紛争によって引き裂かれた音楽家たちの交流再開を願い、バルカン室内管弦楽団を立ち上げました。戦後復興において文化による和解を目指していた私にとって、坂本さんが東日本大震災の復興支援に注がれていた情熱は強く共感するものでした。生命や生活、さらには人間の尊厳までも脅かした震災からの復興に尽力される坂本さんの姿に感銘を受け、東北ユースオーケストラへ参加させていただきました」
戦争と震災――その背景は異なる。しかし、人間の尊厳を取り戻し、未来へ希望をつなぐという使命は共通していた。だからこそ二人は、音楽を社会のために生かすという信念を共有し、長年にわたり活動をともにしてきたのである。その思想は、坂本龍一の作品にも色濃く表れている。今回の公演では、“Merry Christmas Mr. Lawrence”“The Last Emperor”“Tong Poo(東風)”をはじめとする代表作が演奏される。それぞれ映画音楽、現代音楽、ポピュラー音楽という異なる世界に属しながら、坂本龍一ならではの普遍的な美意識によって結ばれている。栁澤は、その魅力を〈音〉と〈響き〉への徹底した探究心にあると語る。
「坂本さんの〈音〉、あるいは〈響き〉へのこだわりは、底知れぬ気骨に満ちています。音色そのものが語り、旋律だけではなく、一つひとつの響きにまで思想が宿っている。それが坂本さんの音楽の大きな魅力です」
さらに栁澤が印象深く語るのが、坂本龍一が東北ユースオーケストラの子どもたちへ繰り返し伝えていた「ぶつかりのハーモニー」という言葉である。一般的には不協和音は〈不安〉や〈緊張〉を生み出すものと考えられる。しかし坂本龍一は、それを否定的には捉えていなかった。
「坂本さんは子どもたちに〈ぶつかりのハーモニー〉という言葉をよく使われていました。不協和音とは単なる二項対立ではなく、異なるもの同士が共生することでもあるのです。ぶつかってもいい。それでも人間は新しいハーモニーを創り続ける。その不協和音のなかにこそ、私たちは自分の居場所や、ある種の心地よさを見いだすことができるのではないでしょうか」
この言葉は、バルカン室内管弦楽団の理念とも重なる。民族、宗教、文化、価値観――異なるものが対立するのではなく、違いを認め合いながら一つの音楽を創り上げる。それは坂本龍一が音楽で描き続けた世界そのものでもあった。そして、栁澤にとって忘れることのできない出来事がある。
2023年3月19日。坂本龍一が亡くなる10日前のことである。東北ユースオーケストラのリハーサルの最中、栁澤のもとへ一本の電話が入った。
電話の向こうの坂本龍一は、病と闘いながらも、ほとんど声にならないほどかすれた声で、何度も何度もこう繰り返したという。
「ありがとう。ありがとう。ありがとう……」
それが二人が交わした最後の言葉となった。
さらに坂本龍一は、亡くなる二日前の3月26日まで病室から栁澤と東北ユースオーケストラの子どもたちへメッセージを伝え続けた。最後の最後まで未来を担う若者たちへ思いを託した姿は、音楽家としてだけでなく、一人の人間として生き抜いた坂本龍一の本質を物語っている。
世界は今なお、戦争や紛争、気候変動、貧困など複合的な危機に直面している。世界各地で分断は深まり続けている。そうした現代だからこそ、栁澤は坂本龍一の音楽が持つ意味はさらに大きくなっていると語る。
「坂本さんは電子音響、現代音楽、民族音楽など、さまざまな文化を融合しながら、新しい音楽を創造されました。そして、不協和音の中に共生という思想を描き続けました。世界の人々がより良い関係性を築き、共存共栄を目指すことが求められる今の時代だからこそ、坂本さんの作品はますます大切なメッセージを持っていると考えています」
音楽は世界を変えられるのか――。
その問いに対し、坂本龍一は生涯を通して〈変えられる〉と信じ続けた。そして、その意思は今、栁澤寿男とバルカン室内管弦楽団によって未来へ受け継がれようとしている。
北とぴあで響く一音一音は、坂本龍一が遺した名曲であると同時に、民族や国境、世代を越えて人々を結ぶ〈平和への祈り〉そのものである。その響きは、私たち一人ひとりに、音楽が持つ本当の力を静かに問いかけるに違いない。
LIVE INFORMATION
TULLY’S COFFEE presents 栁澤寿男指揮バルカン室内管弦楽団 Plays 坂本龍一
2026年10月6日(火)東京・王子 北とぴあ さくらホール
開場/開演:19:00/18:00
出演:栁澤寿男(指揮)/バルカン室内管弦楽団
https://classics-festival.com/rc/performance/tullys-coffee-presents_sakamoto/