雑誌「昭和40年男」が監修した2枚組コンピレーションCD『ミッドナイトステーション 〜踊れ! ディスコ DE 歌謡曲〜』が、2024年9月11日(水)にリリースされる。
1970年代を起点に盛り上がりを見せたディスコブームは、当時の日本の音楽シーンに大きな爪痕を残し、歌謡曲と結びつくことで数多くの〈ディスコ歌謡〉の名曲が誕生していった。本作に収録された全32曲は、その一部であるとともに〈ディスコ歌謡〉を語る上では欠かせない名曲ばかりだ。
誰もが耳にしたことのあるビッグアンセムから、現在もサブスク未配信のレアトラックまでが並ぶ充実のコンピCD、その聴きどころを徹底解説する。 *Mikiki編集部
1970年代の享楽的な空気から生まれた〈ディスコ歌謡〉
ジョン・トラボルタ主演の映画「サタデー・ナイト・フィーバー」(1977年:日本公開は1978年)をピークに日本でも社会現象と化し、やがてダンスフロアを飛び出してお茶の間へも浸透していった〈ディスコ〉。往年のロック~フォークで育ったリスナー層からは〈時代の徒花〉として軽く見られてきたし、受け手によって解像度の異なるワードではあろうが、素晴らしい楽曲を生み出すムーブメントだったことは間違いないだろう。そんな享楽的な時代の空気を吸収して生まれた〈ディスコ歌謡〉を満載したコンピレーションが、今回紹介する『昭和40年男 presents ミッドナイトステーション ~踊れ! ディスコ DE 歌謡曲~』だ。
もともと日本における〈第1次ディスコブーム〉は、1975年(昭和50年)から1976年(昭和51年)頃にかけての時期とされている。その時点ではいわゆる〈ディスコサウンド〉の定型はまだ出来上がっておらず、DJがフロア映えするソウルやファンクを主体にレコードをプレイしていた。で、そこからディスコという場の人気が拡がる過程でダンスフロアでの用途に特化した〈ディスコソング〉が量産されるようになり、その流れで1977年(昭和52年)から1979年(昭和54年)にかけて巻き起こったのが〈第2次ディスコブーム〉ということになる。
この時期には先述した「サタデー・ナイト・フィーバー」の公開もあって、〈フィーバー〉が流行語となるほどのヒットを記録。そうした変質によって夜遊びや不良のイメージが希薄になったディスコは、より親しみやすいスタイルで大衆化を進めていった。今回のコンピにはそれら両方のブームを源泉とする多面的な〈ディスコ歌謡〉を収録。日本独自の解釈で生まれたカラフルな全32曲がCD2枚組に詰め込まれている。
まず、DISC 1においては、いわゆる〈第2次ディスコブーム〉期に生まれた楽曲がメインとなる。機能性の高いダンサブルな楽曲が多方面で親しまれた時代の産物で、ディスコの冠なしに世間に届いた有名曲もあれば、刹那の打ち上げ花火もあり、この雑多な百花繚乱ぶりは時代の活気を如実に伝えるものだろう。
そのオープニングはディスコ歌謡の象徴にして絶頂を極めた西城秀樹の“YOUNG MAN(Y.M.C.A.)”(1979年)。ヴィレッジ・ピープルの世界的ヒット曲を、本家のリリースからわずか数ヶ月後にカバーしたこのバージョンは、オリジナル日本語詞の前向きさも相まってディスコサウンドの健全な用途を示すことに成功した国民的ヒットである。なお、そのシングルB面に収められていたメドレー形式の“HIDEKI DISCO SPECIAL”がDISC 2にあるのも気の利いた選曲だろう。
で、それら秀樹の2曲を含め、全32曲のうち12曲がサブスク未配信の音源だというのも本コンピの重要なポイントに違いない。和モノ人気も高いサーカスの流麗で清涼な“ムーヴィング”(1979年)をはじめ、後藤次利がドナ・サマー“Hot Stuff”風味を注入した大滝裕子(後にAMAZONSを結成)のグルーヴィーな名曲“A BOY”(1979年)、都倉俊一によるフォーリーブスの“ブルドッグ”(1977年)、さらにキャンディーズの妹分グループとして結成されたトライアングルの“キャプテンZAP”(1978年)、日本テレビ音楽学院から選出された女性トリオのアパッチ“怪盗アリババ”(1978年)といったレアなアイドル曲が聴けるのも嬉しいところだ。
SHŌGUN、クリッパー、ラッツ&スター……各スタイルで表現されるディスコ歌謡
それ以外の楽曲も、人気ドラマ「熱中時代」の主題歌だったバブルガムソウル調の原田潤“ぼくの先生はフィーバー”(1978年)、これまた人気ドラマとなる「探偵物語」の挿入曲だったSHŌGUNの洒脱な“As Easy As You Make It”(1979年)、化粧品のCMソングとしてヒットした桑名正博の“セクシャルバイオレットNo.1”(1979年)、渡辺真知子が「NHK紅白歌合戦」で披露した船山基紀アレンジの“たとえば…たとえば”(1979年)もあって、メインストリームの多彩な場面でディスコのサウンドが重宝された当時の状況も浮かんでくる。
さらに、郷ひろみ“HELL OR HEAVEN(地獄か天国)”(1978年)は、キャンディーズ仕事で知られる穂口雄右(元アウト・キャスト)が全曲を手掛けたディスコ仕様アルバム『Narci-rhythm』の収録曲で、こうしたコンピにピックアップされるのも珍しい1曲だという。他にもジュディ・オングが“魅せられて”の翌年に放った妖美な“麗華の夢”(1980年)、現在では「ドラゴンクエスト」シリーズのイメージが強いすぎやまこういちが作曲(しかも編曲はハーヴィー・メイソン!)した朝比奈マリアのパワフルな“ディスコ・ギャル”(1979年)、〈フィリピン版フィンガー5〉的な触れ込みだった5兄弟グループのクリッパーがビー・ジーズも意識した“キャットマン・ディスコ”(1978年)……と多種多様なスタイルの爛熟が混在する猥雑さも、この時代の歌謡曲の醍醐味だろう。
大衆化したディスコの広がりは原宿の歩行者天国で若者たちが踊る〈竹の子族〉の文化に派生したが、そこから登場した沖田浩之のAORテイストな“俺をよろしく”(1981年:編曲は鷺巣詩郎)が終盤に並んでいるのも興味深い。そして、そこからのラストに置かれているのが、ラッツ&スターのアンカットな人気曲“夢のディスコティック”(1984年)。後藤次利らしいファンキーな意匠でアルバム『SEE THROUGH』の冒頭を飾ったこのメンバー(田代マサシ × 鈴木雅之)自作曲は、70年代ディスコのノリがすでにノスタルジーの対象になっていたことを伝えてくれる。