タワーレコード新宿店~渋谷店の洋楽ロック/ポップス担当として、長年にわたり数々の企画やバイイングを行ってきた北爪啓之さん。マスメディアやWeb媒体などにも登場し、洋楽から邦楽、歌謡曲からオルタナティブ、オールディーズからアニソンまで横断する幅広い知識と独自の目線で語られるアイテムの紹介にファンも多い。退社後も実家稼業のかたわら音楽に接点のある仕事を続け、時折タワーレコードとも関わる真のミュージックラヴァ―でもあります。
つねにリスナー視点を大切にした語り口とユーモラスな発想をもっと多くの人に知ってもらいたい、読んでもらいたい! ということで始まったのが、連載〈パノラマ音楽奇談〉です。第20回は、シティポップの定義を1960年代の音楽に当てはめてみたらどんな曲があるのかを綴ってもらいました。
なお、1年半続いてきたこの連載は一旦最終回を迎えますが、北爪さんによる連載はまた新たな形で戻ってきますのでお楽しみに! *Mikiki編集部
誰も語らない〈1960年代シティポップ〉
ここ数年ですっかりワールドワイドに定着した感のあるシティポップというジャンルですが、最近では1990年代(さらに2000年代以降)のJ-POPをシティポップ的視点で捉えた書籍や記事も多く見られます。ところが誰一人として1960年代のシティポップについては言及していないではないですか。そりゃもちろん1970年代に誕生したジャンルなのだから当然すぎるほど当然なのですが、〈無理が通れば道理は引っ込む〉と漫画家の島本和彦先生も仰っているように、今回は無理を承知で〈1960年代のシティポップ〉というテーマで押し切ってみようと思います。
その前にシティポップの定義らしきものをウィキペディアから抜粋してみましょう。
1970年代後半から1980年代にかけて日本で制作され流行したニューミュージックの中でも、欧米の音楽の影響を受け洋楽志向の都会的に洗練されたメロディや歌詞を持つポピュラー音楽のジャンル。主要なアーティストの多くがシンガーソングライターである。
~中略~
決まったスタイルのサウンドは無く、〈明確な定義は無い〉〈定義は曖昧〉〈ジャンルよりもムードを指す〉とされることもある。シティポップにおける大事な要素としては、〈都会的〉で〈洗練された〉音楽であるという点が挙げられる。もっぱら日本語で歌われていた点も主な特徴である。
なんだか思っていた以上に曖昧な説明なのが気にかかりますが、ともあれ重要なのは〈洋楽志向の都会的に洗練されたメロディや歌詞を持つポピュラー音楽〉ということでしょう。それならば1960年代の邦楽でも当てはまるものは多いので、その中から出来るかぎり本来のシティポップのニュアンスに近い楽曲を選べばなんとなく成立するかもしれません。というわけで以下では独断と偏見に満ちた〈1960年代シティポップ〉を紹介していきましょう。
洋楽を果敢に取り入れた浜口庫之助と筒美京平
1960年代に活躍した作曲家のなかでも洋楽のエッセンスを最も果敢に取り入れていたのが浜口庫之助と筒美京平でしょう。シティポップ視点でハマクラソングを選ぶならば、島倉千代子が1968年にヒットさせた“愛のさざなみ”は外せません。
当時の歌謡曲としては異例のLA録音で演奏はボビー・サマーズと彼のグループとなっていますが、これがじつはハル・ブレインを始めとするレッキング・クルーの面々。つまりフィル・スペクターやビーチ・ボーイズほか多くのバッキングを担当した凄腕セッションミュージシャン集団です。彼らのソフィスティケートされた極上の演奏に島倉千代子の演歌的歌唱をぶつけるというハマクラの非凡なセンスが冴える名曲中の名曲。
一方の筒美京平はまだ若手でしたが、すでに楽曲の洗練ぶりが際立っています。なんといってもシティポップ歌謡の雛型的ないしだあゆみの“ブルーライト・ヨコハマ”という必殺曲がありますが、ここでは同じ橋本淳とのタッグながらノーヒットに終わった西田佐知子の“くれないホテル”を推したいところ。
エンゲルベルト・フンパーディンクのヒット曲“The Last Waltz”を下敷きにバート・バカラック風の味付けを施したサウンドと、西田のシャーデーもかくやのクールな歌唱は洒脱の極み。しかも細野晴臣、松本隆、坂本龍一、山下達郎という、まさにシティポップの礎を築いたような方々がそれぞれ別の媒体でこの曲を絶賛していることを踏まえると、ある意味〈ルーツ・オブ・シティポップ〉と言ってもおかしくない曲ではないでしょうか。