ジャズバイオリンのトップランナーとして走り続けるmaikoが、活動開始から25周年を記念したアルバム『Reminiscence』をリリースした。25年というのは、彼女が寺井尚子に憧れて故郷の神戸から上京してからの時間である。その間に出会ったピアニスト伊藤志宏をはじめとする仲間との絆や、コロナ禍に自らのステージをさらに高めるために始めたソロバイオリンの演奏など、節目の年に自らの活動を振り返り、遠く離れたものに思いを馳せるような楽曲の数々は、過去の蓄積の集大成であり、現在地の確認であり、また未来への展望でもある。現在はアルバムリリースを記念するツアーを行っている彼女に、アルバムのコンセプトやこれまでの25年、そして今後についても話を聞いた。
自分の音楽の確立を感じられたのはここ最近の話
――25周年、おめでとうございます。
「ありがとうございます」
――ジャズバイオリニストを目指して上京されてから25周年、ということですね。そのきっかけは寺井尚子さんの演奏を聴いて衝撃を受けたことだと伺っています。
「その前に、地元の神戸で阪神淡路大震災を体験したのも大きいですね。それまでは、バイオリンを演奏する方の多くがそうであるように、クラシック音楽を学んでいました。
しかし、震災をきっかけにして、より自分らしく生きたい、より自分らしい音楽活動をしていきたい、と考えるようになり、クラシック以外の音楽も聴くようになったタイミングで、寺井さんの音楽と出会ったんです」
――詳しく教えてください。
「たまたま出かけたCDショップで、寺井さんがデビューアルバム(1998年作『Thinking Of You』)のプロモーションでインストアライブを行っていたんです。寺井さんはバイオリンだけ持ってツカツカとステージに歩いてきて、カラオケをバックにひとりだけで演奏を始められました。現在の寺井さんだったらありえないですよね。
でも、それを観て、本当にすごい衝撃を受けたんです。〈こんな音楽がバイオリンでできるんだ!〉〈かっこいい! 私もこうなりたい!〉と思いました。それがそもそもの始まりです)
――それで上京して寺井さんのアシスタントに?
「当時は東京への憧れもありましたし、とにかく上京だけしてしまい、寺井さんのライブを聴きに行くのはもちろん、〈弟子にしてください〉という思いの丈を、3枚綴りぐらいの手紙にしたためてお送りしたりしました。音源も一緒に送ったと思います。
そうしたら寺井さんから連絡をいただき、〈今は弟子はとっていないけれど、私が教えられることは何でも教えます〉とおっしゃっていただきました。それでますますライブに通いつめ、自分の演奏を録音しては聴いてもらってアドバイスをいただき、ということを繰り返しているうちに〈お手伝いに来る?〉と声をかけていただいたんです。今から思うと、それまでの間は、私の〈本気度〉を試されていたのかもしれません」
――改めて、ジャズに取り組んでみていかがでしたか?
「ずっとクラシックを勉強してきた私にとって、やはりアドリブというハードルを乗り越えるのがいちばん大変でしたね。楽譜が白紙の状態で、〈なんでもいいからまずは弾いてごらん〉と言われたときにどうするか。そのきつさを克服するのに何年も費やしました。
あとは擦弦楽器ならではのニュアンスを出すのが難しいですよね。現在でも試行錯誤を続けていますし、そうして〈自分の音楽を確立していけるかな〉と感じられるようになったのは、本当にここ最近の話だと思います。
もちろん、寺井さんをはじめとする先輩たちや共演者の皆さんからいろいろなことを吸収したり、時にはアドバイスもいただいたり、リスニングをたくさんしたりしながら、少しずつ自信をつけてきたという感じです」