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〈音の部品〉を組み立てていたトリスタン・ディスコ

大熊「トリスタン・ディスコはどんなきっかけで始まったの?」

園原「例のYLEMの録音がきっかけかね? あの頃からやってることがトリスタンだもんな」

巣山「マングースのレコードを作った後から曲も変わってリズム重視になっていって、〈じゃあ、トリスタン・ディスコで〉って感じになったんじゃなかったかな?」

大熊「ネーミングはダダとかシュールレアリズムとかの影響?」

園原「トリスタン・ツァラが好きだったから。その辺は上田君が噛んでたかもしれない」

巣山「YLEMが活動をやめることになり音源をキッチンに渡すことになって、バンドをトリスタン・ディスコにしたんだ」

TRISTAN DISCO 『Relative Motion -Dance with Tristan Tzara-』 SUPER FUJI(2024)

園原「(キッチンのラインナップは)ヴァリエテやメトロファルス、トリスタン・ディスコ。あとMLDで、それは白石隆之(と園原)のユニット」

大熊「トリスタンのベースの田島(敦夫)君は、僕も友達だった。彼は池袋のアール・ヴィヴァンでバイトしてたね」

※編集部注 ART VIVANT。西武百貨店池袋店内にあった美術書専門店

園原「YLEMで『はたご屋』ってカセットテープを作ってたのが彼で、〈ジャズも好きだからベースを弾くんだ〉と言うからスタジオに来るようになって、トリスタンのライブにも参加するようになった」

巣山「ベースを弾いてもらったらめっちゃ合って、すごく気持ちよかった。スラップ奏法なんて初めて見たし」

園原「そういう良い瞬間の音の部品があれば、曲ができちゃった。それが気持ちよかったね」

巣山「音楽が頭の中にあったから、ここに〈チチー〉を入れてよ、とかそんな感じだったね」

園原「ツツッツッツツ……ここで止まって、ブレイクを入れて、ここから曲をやって、とか言ってね」

巣山「楽譜じゃなくてね。日本の芸能じゃないけど、言葉で伝えて曲を作ってくことが多かった」

園原「大熊にもコードを伝えるより〈ここは弾いちゃだめだよ〉とか言ってね。好き勝手にやってもらった」

大熊「そういうのしかできなかったし(笑)。でも、1曲だけピアノでコードを淡々と弾いてるのがあって……」

巣山「ガラスなどすぐ忘れ~♪」

大熊「“キャタピラ”か! あれは良い曲だね」

園原「あれは俺が考えたコードかも。ドラムのタメもかっこいいね」

巣山「今ならもっとできるって思いがあって、俺は悔いが残るんだけどね(笑)」

園原「ドラムといえば、ロフトで絶対零度とライブした時、俺たちが夢中になったのが絶対零度のドラム(木村真哉)。巣山に〈ああいうのやって〉と言ったら、〈すぐには無理〉なんて返されて。(キング・)クリムゾンの『Red』みたいな音だったもんな」

大熊「木村のドラムは今聴いてもかっこいいよね。高校の頃からジョン・ボーナムのドラムをひたすら練習してたみたい」

園原「大熊は木村のドラムを評価してなかったの?」

大熊「評価はしてたんだけど、当時僕はニューウェーブ小僧だったから、もっと新しい感じが欲しかった。木村は70年代のロックがベースにあるから、ノーウェーブ的な感覚も欲しかったんだよね」

園原「今でも覚えてるのは、トリスタンをやってた頃に広瀬から教えてもらった、マガジンが好きだったこと。『The Correct Use Of Soap』(1980年)が大好きで、すぐ後にそのアルバムを中心にしたライブ盤(『Play』、1980年)を出して、〈この辺の曲は良いな〉と言ったら、大熊が珍しく〈俺、このピアノ大嫌いなんだ〉って言って」

大熊「記憶にございません(笑)。広瀬とよく〈マガジンは良い〉って言ってたね」

園原「マガジンはスライの曲もやってたね」

大熊「“Thank You (Falettinme Be Mice Elf Agin)”のカバーね」

園原「ライブでもやってたし。俺らもトリスタンで“Thank You”をやるみたいな……」

巣山「そのイメージはあったね」