ジャズの精髄を知るからこその、厳しさとしなやかさ。と、チンさんことダブル・ベース奏者の鈴木良雄の長い、レジェンダリーとも言える活動を見渡すと、そんな書き方をしたくなる。それを支えるのは高い技術と高邁なジャズ観だが、その先で彼はまさに音を鳴らすことを悠然と楽しみ、即興性を抱えた曲を育み続けてきた。元々はピアニストとしてプロ入りしたものの、渡辺貞夫の勧めでダブル・ベース奏者に転向。1973年から12年間は、ニューヨークで活動。見聞を広めるとともに、彼はスタン・ゲッツやアート・ブレイキーといった米国を代表する大御所のバンドのレギュラー・ベーシストとしても活躍した。帰国後も様々な思慮を投影した自己グループをその都度その都度で組んできているが、そんな彼の現在の活動の柱となるのが2019年から組んでいるThe Blendだ。その第2作『EXPECTATION』をリリースする彼に、同カルテットが抱えた意義やジャズを問うた。

――すごいキャリアをと言うしかないんですが、ターニング・ポイントはと問われたら、なんと答えますか?
「音楽人生においてバンドをいろいろやっていますが、僕がそれを解散するのはこれ以上発展がないなと感じた時なんです。お互いに分かりすぎてバンドの次が見えなくなり、もう新鮮味がないと感じた時に解散します。そして、そうなった際には、次のバンドのことを考えてる。そうしたことが、それぞれがターニング・ポイントになりますね」
――例えば新しいバンドのメンバーを選ぶ時に、こういうタイプの奏者は好きで、選ぶ方向にあるなと感じるところはあります?
「いろんな仕事で、様々なミュージシャンに会うじゃないですか。そんな長いことやらなくてもちょっと演奏すればこいつはいいな、こいつ合うな、というの分りますね。これだけ長くやってると、誰かに会った時に音を出す前に、態度とかヴァイブレーションとか感ずるものがあるんですよ。それ、だいたい当たりますね(笑)」
――技量とともに、やっぱその人の持っている人間性みたいなのは大切ですか。
「それは、やっぱり。波長というか。それはもう、いい悪いの問題ではなく」
――それぞれ、個性の問題ですからね。
「そうそう。だから、個性の合うミュージシャンは大切にしたいです。The Blendの前に組んでいたGeneration Gapというバンドにはハクエイ(・キム)と(中村)恵介がメンバーでいたんだけど、解散した時に次もこの2人は残したいと思いました。他に誰とやりたいかなと思ったら、峰厚介を入れたいなと。前のGeneration Gapはメンバーが若い人たちばかりだったので、自分の味方をつけなきゃと思った(笑)。それはやっぱり厚ちゃんだなって。俺より厚ちゃんは2つは上なんですけどね。フロントの恵介と峰厚介は正反対なんですよ。上手いと、深い。厚ちゃんは人間そのもので、人生そのものの音を出し、恵介は成長してて俺はお前が今1番のトランペッターだと言っている。そして、そこに(本田)珠也が俺もやらせてよって言ってきた」
――めちゃ忙しいのに、珠也さんは自分の方から……。
「珠也の親父の本田竹廣(ピアノ)は俺と一緒にやってて、峰厚介もそう。そういう関係もあるんだけど、俺にやらせてよって。珠也のことは小さい時から知っているのにあんまりやってないので、これはいい機会だなと思いました」
――絶妙なバランスですよね。鬼のように経験を積んだ2人がいて、あとは新しい風や勢いを持つ3人いて。
「だから、うまくブレンドしたからブレンドという名前がパッと浮かんだんですよ。そしたら、ハクエイが〈ザ〉をつけたら格好いいですよと。それで、The Blendになりました」
――そして、2019年くらいからThe Blendはライヴをやりだしたわけですか。
「そうですね。6年くらいやってて、最初にやったのは金沢のジャス・フェスでした。その時はまだ寄せ集めという感じでしたが、しばらくしてそろそろバンドの音が出てきて、もう今しかないなと思って『ファイヴ・ダンス』をライヴ録音したわけです。あんまりやりすぎちゃうとつまらなくなっちゃうから、ちょうど今食べ頃だなっていう時に録りました」
――そのデビュー作『ファイヴ・ダンス』(2022年)を録音した新宿ピットインのライヴは見ています。王道のジャズ流儀がフレッシュに舞う実演を見て、完成度と覇気がハンパないと感じ入るとともに、やはりジャズはライヴ・ミュージックだよなと実感もしました。
「いやー、ジャズはやっぱりライヴですよ。アレンジはされていても、その時に次の瞬間がどうなるか分からないっていうスリルがジャズの大事なところで。それが本質かな。あまりライヴ・レコーディングってしないんだけど、あの時はバンドの音が熟していて、もうこのバンドは生しかないと思ってレコーディングしたんです」