(左から)森園勝敏、岡井大二

1974年、まだ黎明期だった日本のロックシーンに登場し、当時のシーンに衝撃を与えながら激動のミュージックシーンを持ち前の個性で駆け抜けた伝説のバンド、四人囃子。サウンドの聴感により命名されたジャンルとしてのプログレッシブロックではなく、音楽に取り組む姿勢という本当の意味でのプログレッシブミュージックを追い求めていた、極めて稀なバンドである。

四人囃子というバンドは海外のロックバンドの手法をいち早く採り入れたことで、日本のロックの先駆者となった。まず、まだ20歳前の少年ながら英米のロックに引けをとらない演奏力を持っていたこと。次に、ピンク・フロイドのようにバンド専任のミキサーを抱えていたこと。また、プロコル・ハルムにおけるキース・リード、キング・クリムゾンにおけるピート・シンフィールドのように専属の作詞家がいたこと。アルバムを印象付けるアートワーク。そしてアルバムのセルフプロデュースにこだわったこと。さらに、16chをフルに使った型破りな録音方法など。

そういった彼らのこだわりが結実したデビューアルバムにして今なお名盤の名をほしいままにしている『一触即発』(1974年6月発売)がアナログLP(クリアスカイブルーヴァイナル)で、シングル“空飛ぶ円盤に弟が乗ったよ”(1975年9月発売)が7インチシングル盤で、いずれも2026年7月15日(水)にタワーレコードより限定リイシューされる。そこで今回は、メンバーの岡井大二(ドラムス)と森園勝敏(ギター/ボーカル)に制作当時を振り返ってもらった。


 

〈ピンク・フロイド風〉ではない、四人囃子としての自負心

――バンドは、最初はどんな感じでやり始めたんですか?

森園勝敏「高校生の時にバンドを始めて、3人でやってた頃はクリームのコピーばっかり。それから高校3年の終わり頃には周りにもトリオのバンドはほとんどいなくなって、キーボードがいるバンドが増えてきた。コピーする対象がディープ・パープルやマウンテンになってきて、僕らも坂下(秀実)くんが入って4人編成になったあたりからが四人囃子だね」

――当時から音へのこだわりがあり、専属のミキサー(河合雄一)が付いてたんですよね。

岡井大二「他でも色々やってるような人じゃなくて、僕たちだけを手伝ってくれてた同い年の近所の仲間だったんですけどね。でも、後にプロのエンジニアになって、今も活躍してますよ」

森園「日比谷野音に自分達のボーカルアンプを持ち込んでやったこともあったよ。まだ簡単な機材だったので今みたいな本格的なものではなかったけど、坂下くんのオルガンの音とかSEなんかもミキシングしてた。

あと、ELKのテープエコーを複数台使ってた。海外のビンソンとかは高くて買えなかったけど、僕らみたいに何台もエコーマシンを持ってるバンドは珍しかったんだよ」

岡井「機材に関しては知識のあるモリ(森園)が中心になってた。

エコーマシンに関しては、当時我々の世代が興味を持って聴いていた音楽には当然のように使われていたので、そういう音を作りたい僕らには必要だったんです。エコーマシンがあれば、あの音が出るじゃん!ってね(笑)。そういう時代でしたよね」

森園「ピンク・フロイドみたいにやるのならテープエコーは必須だったからね」

――ピンク・フロイドからはかなり影響を受けましたか?

森園「大阪フェスティバルホールまで見に行きましたよ。あのEマイナーコード一発、ジャラーンと鳴らした時の綺麗な響きは衝撃的だった。バンド全体の音のSN比が良くて、ノイズがない。ギターもラインで録ったようなクリアな音。あのコンサート会場におそらくレコーディング用のコンソールを持ち込んでたからね」

岡井「音を増幅して無理やり届かせるんじゃなくて、本当に目の前で鳴ってるという感じだった。PAと言うものを初めて体感した」

森園「でっかいステレオ再生装置で聴いてるみたいなハイファイな音だったよね」

岡井「大阪フェスティバルホール公演では客席全体を包み込んだサラウンドシステムだったのにはビックリした」

森園「曲と曲の間で10分くらい暗転するんだけど、別に何にも喋らないしね。あ、こういう場面では無理して喋らなくていいんだ!なんて参考になったよ(笑)。音に関しては確かに大きな影響は受けてたけど、ピンク・フロイドに追いつこうとか、ピンク・フロイドに限らず何風にしようとか、そういう感覚はなかった。レコーディングを始める頃から、そういう四人囃子としての自負心は持ってたね」

――他にはどんなバンドを聴いてたんですか?

森園「大二の家に遊びに行ってよく聴いてたのはグレイトフル・デッドの『Anthem Of The Sun』やシド・バレットがいた時期のサイケなピンク・フロイド。へえ~、こういうのが好きなんだ、なんて思ってた。僕はブルースとか、アニマルズ、スペンサー・デイヴィス・グループなんかが好きだったからね。よく僕らは組曲みたいにして長い曲をやってたけど、あれはプログレというより、オールマン・ブラザーズ・バンドやデッドみたいなバンドからの影響も多かった」

 

独自の日本語ロックを生んだ絶妙な作詞作曲コンビ

――そして、四人囃子がやる曲もコピーからオリジナルへ変わっていきますが、この時代はちょうど日本のロックは英語でやるべきか日本語でやるべきかで揉めてましたよね。

森園「英語でやるか日本語でやるか、バンドで話したことなかったよね」

岡井「いや、オリジナル曲でやるならやっぱり日本語だよねって話はしてたよ」

森園「そうだっけ、全然覚えてないなあ(笑)」

岡井「あの当時は、実際に歌うモリ以外のメンバーがそれほど詞に拘りがあったのかどうか微妙なところなんだけど、モリと末松さん(作詞家の末松康生)の関係上、日本語でやれるようになったんだよ」

森園「確かに専属の作詞家なんだけど、それもたまたまの話でね」

岡井「モリと末松さんの関係がもしなかったら、どうなってたか分からないよ。今度の曲はこういう内容の詞で、こういう歌なんだぜ、っていうのはモリが決めてたからね。その末松さんの詞が独特で、メッセージ性の強いものでも無く、恋愛ものでも無く、とてもユニークな世界だということはメンバー全員で感じてました」

――異次元のシュールな景色が見えてくるような詞ですよね。

森園「末松さんはコピーライターだったから、言葉の持つインパクトは知っていたと思う。

一番最初にできた曲は“おまつり(やっぱりおまつりのある街へ行ったら泣いてしまった)”。たまたま末松さんの家に遊びに行った時に〈こんなのがあるんだよ〉って見せてもらったのが“おまつり”の詞で、その頃に何となく作っていた曲にある日リハーサルでそれを乗っけてみたら、案外上手くいったんだ。これならやれるかもって思ったね」

岡井「末松さんの詞は多分レコーディングしていた時よりも、年数が経てば経つほど深く感じる詞だと思います。今にして思えば、絶妙なソングライターと作詞家のコンビだったんです」

 

〈厄介なバンド〉がこだわり抜いた音作り

――驚くべきことに、デビュー前の1972年から1973年までの間に、すでに『一触即発』の曲だけでなく、“泳ぐなネッシー”や“空飛ぶ円盤に弟が乗ったよ”までが存在していたんですよね。

四人囃子 『一触即発<初回生産限定盤/タワーレコード限定盤/クリアスカイブルー・ヴァイナル>』 ビクター(2026)

岡井「当時の四人囃子のアイデンティティのメインだった“おまつり”“空飛ぶ円盤に弟が乗ったよ”“一触即発”“泳ぐなネッシー”は揃っていて、理想としてはこれら4曲全てをデビューアルバムに入れたかったんですよ」

森園「でも、LPレコードの片面に収録できるのは20分くらいだから、物理的にそれは難しかった」

岡井「だから1枚目のアルバムに“おまつり”と“一触即発”、2枚目に“空飛ぶ円盤に弟が乗ったよ”と“泳ぐなネッシー”という2曲ずつの組み合わせにして、そこに脇を固める曲を入れるという腹づもりでいたんです」

――レコード会社はどのような経緯で決まったのですか?

岡井「フォークのブームからロックへと時代が移って、有難いことにレコード会社もロックバンドを探し始めていて、僕らにもお声が掛かったんです。でも僕たちは〈とにかくレコードが出せればいいや〉という考えではなくて、やりたいことを全うさせて貰えるレコード会社にお世話になりたいというスタンスでした。ポリドール、コロムビア、ビクター、フィリップスなどいろんなレコード会社からお誘いいただいたりスタジオでデモテープを録ったりしたんですが、僕たちがまだ諸々が未経験の10代の子供だったこともあって、なかなか思うようにやらせてもらえそうもなくて、残念ながらお断りしてたんですよ。そうしたら東宝レコードから話が来て、やりたいスタジオで好きなようにセルフプロデュースでやっていいというお許しをいただいた」

森園「でもいきなりはやらせてもらえなくて、最初に『二十歳の原点』という小説のレコード化を手掛けるという条件付きだった」

岡井「『一触即発』はレコーディングしていた期間が、ちょうどサディスティック・ミカ・バンドの『黒船』と同じなんですよ。むこうは憧れの音響ハウスの2スタを使ってロックアウトでやってた。プロデューサーにクリス・トーマスが付いてたしね。そんな時に僕らはセルフプロデュースでやるしかなかったんだけど、じつはプロデュースとは何かということも分かっていなかった(笑)」

森園「その時の東宝レコードの部長が、最近知ったんだけど、窪田晴男の叔父さんなんだよ。俺たちのことを〈厄介なバンドだ〉って言ってたらしいよ(笑)」

岡井「エンジニアの大伴(洋二)さんにも苦労かけたよね。最初は僕らの要求することをじっと我慢しながらやってくださってたと思うんだけど、そのうち〈コイツらは面白いことをやろうとしてるんだな〉と認めてくださったみたい。

モリが機材のことに詳しくて、〈最後にトータルでリミッター/コンプ(レッサー)をかけると洋楽のあの音になる〉とか言ってこだわってたよね」

森園「やりたいことを考えてるのは僕らなんだから、大伴さんは〈それをどう実現するのか?〉という立場で一緒に考えてくれたからね」

岡井「だからレコーディングはスムーズに進んだよね。あのアルバムに関しては作業が滞るようなことはなかった。

“おまつり”から録音を始めたんだけど、何せ僕らは経験値がなかったので知らないことばかり。あの時は16chでレコーディングしてたから、ドラムはまず8chを使って録って、それをピンポンしてまとめるとかね」

――“ピンポン玉の嘆き”の音が移動する、あのステレオ感も衝撃的でした。

岡井「あれはネスカフェとニドの空き瓶を持って、そこにピンポン玉を投げ入れて2本のマイクの間を動かすという、超原始的でシンプルな作業(笑)」

 

亀の上に乗った象、象の鼻にぶら下がったナマケモノ

――ギターのレコーディングで印象に残ってることはありますか?

森園「ヘッドホンでモニターしながらギターを弾いてて、いい音だなと思ったのを覚えている。ギターアンプはヤマハのYTA-100で、ヘッドはプリアンプでパワ―アンプはスピーカーボックスに入ってるやつ。その上にエコーチェンバーとそれ以前に使ってたヤマハのプリアンプも繋いでたから、プリアンプが3段繋がってたことになる(笑)。そのヤマハのアンプはオールトランジスタで全然歪まないんだけど、録音したのを聴いてみると、うまい具合にクランチ気味になってる。それは大伴さんの腕なんだろうなあ。

ライン録りはやってなくて、録音はスピーカーの前にセットしたマイク1本。エフェクターはファズ、ワウペダル、テープエコー。まあ、当時はそのくらいしかないしね」

――ギターが2本入るところもバッチリキマってますね

森園「“おまつり”の途中、やかましくなるところでのギター2本の掛け合いで、片方はツインリバーブを使ってる。

“空と雲”の2本目のギターは、じつは別テイクだったんだけど、結果2本とも残すことになった。元の録音テープを聴きながら弾いたから、全く違うフレーズじゃなくて2本のギターが絡まったようになってるでしょ。あれは計算して作ったんじゃなくて成り行きでそうなったんだよ」

――アルバムジャケットのアートワークはどなたが考えたのですか?

森園「コンセプトは僕なんだけど、あれはどう見てもナマケモノじゃなくて猿だよね(笑)。よく〈お猿さんのジャケット〉って言われるけど、ナマケモノはアリクイの仲間だからね。

ナマケモノは知能指数が高くて、人間の倍以上あるらしいよ。そのナマケモノと人間の間にいるのがイルカなのってどこかで聞いて」

――ちょっと凝った構図ですよね。

森園「ぱっと見ると木にぶら下がってるナマケモノに見えるけど、引いて見ると象の鼻にぶら下がっていて、もっと引いて見ると象は亀の上に乗っかってる。そんなインドの神話をどこからともなく聞いて知ってたんだ。

そういう思想は、当時のプログレっぽいよね。意識的にでっちあげたわけじゃないけど、結果としてよくでっち上がってるでしょ(笑)?」

 

メンバーチェンジとオカルトブームと“空飛ぶ円盤に弟が乗ったよ”

――ここでメンバーに異動がありますね。

岡井「ベースの真ちゃん(中村真一)が家庭の事情で抜けることになって、佐久間(正英)くんにベースを頼んだんですよ。佐久間くんは真ちゃんのベースを自分とは別の好きなタイプのベースだと思っていたようです」

森園「茂木(由多加)くんを入れたのは、それは単純に彼の作った曲“カーニバルがやってくるぞ”を僕が好きで、だったら一緒にやっちゃおうかと思ってね」

岡井「茂木くんとは、四人囃子がカバーばっかりやってた頃、プロコル・ハルムの曲をやる時に、それならキーボードが2人必要だよね、という事になって一緒にやったのが最初。茂木くんと佐久間くんは一緒のバンドをやっていたし、親交も続いたので、真ちゃんが抜けることになって、佐久間くんにベースを頼んだんですよ」

森園「茂木くんは家が近所だったの。茂木くんと佐久間くんのバンド〈ミスタッチ〉とは友達だったしね」

――さて、そのメンバーでシングル“空飛ぶ円盤に弟が乗ったよ”を録音しています。

四人囃子 『空飛ぶ円盤に弟が乗ったよ<初回生産限定盤/タワーレコード限定盤>』 ビクター(2026)

岡井「これはレコード会社を移籍するにあたって、シングルを1枚出すことで許諾してもらうという、バーターとしての話しだったんです。契約期間を途中で打ち切って移籍させてもらうには、それ相当なかたちが必要だったのだと思います。そこで、かねてよりセカンドアルバムの1曲目に入れる予定だった“空飛ぶ円盤に弟が乗ったよ”をシングル盤としてリリースすることになりました。

バンドとしてはこのタイミングでそうするのは複雑な気持ちになりましたけど、でもこれによってこのサイズの“空飛ぶ円盤~”が生まれて、今日のこの話があるわけですもんね」

森園「アルバム『一触即発』を録音する以前からあったレパートリーの中の1曲で、どういう詞が面白いかな?って末松さんと話していた時、当時ちょうどブームになっていた円盤、ネッシー、ノストラダムス、そういうのでやろうかということになった。僕が末松さんに〈空が破れたらどうなりますかね?〉なんて質問したり、そういった2人の会話の中からだんだん歌詞ができていったように覚えている。

末松さんと中野坂上の坂を車で走っていた時に信号待ちしてたら、オレンジ色の光が飛んでいったように見えたんだよ。その時は2人で〈今の見たよな? あれ円盤だよな?〉なんて盛り上がって、じゃあ円盤の曲を作ろうということになった」

――曲を作るときは、詞が先だったんですか?

森園「詞が先。その詞に手持ちのリフやコード進行を使ってメロディをつけていく。その後、バンドのリハーサルの時、ぶっつけで歌ってみるとか、大体いつもそんな感じだった。実際には、歌詞も歌いやすいように変えちゃったりしてますけどね。だから、事前に家でメロディや構成をしっかり決めてリハに臨んだような曲は1曲もないんですよ」

 

シーンの激しい変化に反応したフュージョン“ブエン ディア”

――B面曲“ブエン ディア”はガラッと雰囲気が変わってクロスオーバー風味ですね。

岡井「茂木くんのウーリッツァーがうちに置いてあった時に、それをいじって個人的に作った曲です。でもシングルのB面曲なら、こういうのでも構わないだろうというノリで入れました(笑)」

森園「当時の音楽シーンは日々目まぐるしく変化していて、ピンク・フロイドなんかも聴いてはいたけど、一方ではデオダートとかビリー・コブハムとか、いわゆるクロスオーバーも聴いていて、演りたくなっちゃうわけですよ」

岡井「ギタリストのモリはそんなふうにジャズ/フュージョン系にどんどん詳しくなっていったんだけど、僕はやっと(アントニオ・カルロス・)ジョビンの“Wave”を好きになり始めたくらいで、それでデオダートの“Moonlight Serenade”は気持ちいいなとか思うようになってた(笑)」

森園「佐久間くんが入った頃には荻窪のLOFTで、デオダートやボズ・スキャッグスの曲をなんの脈絡もなく演ってたよね」

岡井「まあ、つまり“ブエン ディア”は僕の曲なんですけど、生まれた経緯からして、四人囃子の流れの中に存在している曲じゃないんです。

でも、この曲が交通情報のBGMに使われたことによる印税が役に立って、モリが抜けた後に佐藤ミツルくんとセッションするために北海道へ行く時の旅費になったというオチもあります(笑)」

 

純粋な衝動だけで作ったアルバム

――この時期の四人囃子への、最近の海外や若い世代からの再評価についてはいかがでしょうか?

岡井「ネットの時代になってからの豊富な情報量でいくと、ある意味で本場でのネタも尽きぎみだったりしてないですかね。もしそうなら、ちょうど聴きやすくて西洋文化を基盤にして作られた音楽が改めて掘り起こされているとか……。その中の一つとして引っかかり、個性のある音として聴こえているんだろうなと思います」

森園「和風というか、日本的な部分も個性として認めてくれたんじゃないかな。今、世界の若者に日本語の上手い人が多いのは、アニメとかで聴く機会が多いからなんだってね。オレたちがビートルズを聴いて英語を覚えたように、日本語の上手い人が多いらしいよ」

岡井「50年前の作品ですが、いつの時代にもバンド名先行ではなく作品ありきで聴いてもらえて、評価の対象にしてもらえるのは、きっと何か訴えるものがあるからなんだな、という自負心は持たせてもらってます。

100%納得のいくレコーディングだったかと聞かれれば、それは難しい質問ですね。その後経験を積んでから思うことはまた別ですから、この時は目一杯やらせてもらったと思ってます」

――改めて、〈今思えば……〉という問いかけを敢えてするなら、どのようにお答えになりますか?

森園「ギターに関しては、僕がこれまでたくさんレコーディングしてきた中でベストのサウンドだと思う。あんな音は二度と出せないよ。プロフェッショナルな聴き方をすれば、厳密にはピッチが微妙な箇所があるんだけど、その点も〈味〉と思ってくれたら嬉しいね」

岡井「ドラマーとしては今の自分の方が上手いと思っていますので、録り直すことができたらいいんですけどね(笑)。でも、その今の自分よりアレンジメントやサウンドの雰囲気にちゃんと貢献したドラムを叩けていたようだなと思っています。

アルバムの構成的なことでしたら、初めて聴く人のためには“おまつり”から始まった方がいいかもしれませんね。“[hΛmǽbeΘ]”とかSEとかって、時代と共に美学・美観の対象じゃなくなっていくような気がするんですよ。元の構成やテイクに対して失礼にならない程度に、新しいマスタリングみたいな感覚での、アーティストが関与するリイシューは、これからあってもいいなと思っています」

――70年代前半という、あの特殊な時代というものを考慮に入れることでどのような考察ができますでしょうか?

岡井「あの頃の約4年間はグローバルなカウンターカルチャーの時代で、少年心をロックというものに刺激されて音楽を作っていました。

その後の時代は、売れることも含めて成功することがプロには必要になってきますが、僕たちが始めた頃は有名になるとかスターを目指すためのモノではなく、まずやりたい音楽があって〈こんなことやれたら笑っちゃうよね〉とか〈こんな音楽を作れたら興奮するよね〉みたいなノリでしたから、純粋な衝動だけで作ったアルバムと言えますね」

森園「ポップスというものは元々売るための音楽なのに、あの頃の4年間は考え方が逆転してたんだよね」

岡井「そういう世界的な息吹がなければ、デビュー当時のグレイトフル・デッドなんかが時代のアイコンとして活動できるわけないもんね」

森園「四人囃子はあの時代の空気の中で生まれたんだと思う。そこで1969年のウッドストックの出演者の中で誰が一番好きかっていう話しになるんだけど、誰だと思う? メンバー4人とも、カントリー・ジョー・マクドナルドなんだよ。意外だと思われるだろうけど、ピンク・フロイドじゃなくてそこで繋がってるバンドなんだ」

岡井「あと、ビートルズに関しては全員オッケーだった」

森園「皆んなの意見が合うのがビートルズ(笑)」

 

若かりし日の心残り

――こうして四人囃子の東宝レコード時代は終わり、ソニーへ移籍。そして次作の『ゴールデン・ピクニックス』の1曲目には、ビートルズのカバー“フライング”が入ってましたよね

岡井「本当はあそこに“空飛ぶ円盤に弟が乗ったよ”を入れるはずだったんだよ。これが心残り……」

森園「別バージョンにして入れちゃってもよかったんだよね」

岡井「そうだよね。どうしてそういう風に考えなかったんだろう?」

森園「まだ若かったから、そこまで業界や世間をナメてかかれなかったのかもしれない(笑)」

岡井「でも、今考えてみれば強引にやっちゃえばよかったんだよな。しまったなあ……」

 


RELEASE INFORMATION

四人囃子 『一触即発<初回生産限定盤/タワーレコード限定盤/クリアスカイブルー・ヴァイナル>』 ビクター(2026)

リリース日:2026年7月15日(水)
品番:NJS-853
仕様:LP/33 1/3 rpm/2019年オリジナルマスター音源/2026年最新カッティング
価格:5,720円(税込)

TRACKLIST
Side A
1. [hΛmaebeθ]
2. 空と雲
3. おまつり(やっぱりおまつりのある街へ行ったら泣いてしまった)

Side B
1. 一触即発
2. ピンポン玉の嘆き

■タワーレコード オンライン限定 LP先着予約特典

対象:一触即発〈初回生産限定盤/タワーレコード限定盤/クリアスカイブルー・ヴァイナル〉
特典:一触即発(MONO)8cmシングル(非売品)
※当時AMラジオ局向けにプロモーション音源として配布されていたMONOバージョンの“一触即発”1曲を収録した非売品8cmシングル。予定数に達し次第、特典配布は終了となります(お1人様2点まで)
※特典配布の終了後に予約をされましても、特典はつかない場合があるため、あらかじめご了承ください

 

四人囃子 『空飛ぶ円盤に弟が乗ったよ<初回生産限定盤/タワーレコード限定盤>』 ビクター(2026)

リリース日:2026年7月15日(水)
品番:NKS-782
仕様:7インチ/45 rpm/2020年オリジナルマスター音源/2026年最新カッティング
価格:2,420円(税込)

TRACKLIST
Side A
1. 空飛ぶ円盤に弟が乗ったよ

Side B
1. ブエン ディア Buen Dia

■タワーレコード オンライン限定 7インチ先着予約特典

対象:空飛ぶ円盤に弟が乗ったよ<初回生産限定盤/タワーレコード限定盤>
特典:一触即発コースター(非売品)
※予定数に達し次第、特典配布は終了となります(お1人様2点まで)
※特典配布の終了後に予約をされましても、特典はつかない場合があるため、あらかじめご了承ください