エース・フレーリーが74歳で死去した。

フレーリーは今年9月に自宅のスタジオにて転倒し、その影響で脳出血を発症。その後、治療のために年内のライブスケジュールをすべてキャンセルしていた。

本日10月17日、フレーリーの公式Instagramの発表によれば、彼はニュージャージー州モリスタウンにて家族に見守られながら安やかに息を引き取ったそうだ。

エース・フレーリーことポール・ダニエル・フレーリーは、アメリカ・ニューヨークのブロンクスにて1951年4月27日に誕生した。

いくつかのバンドを転々としたのち、新聞に掲載されていたメンバー募集の広告を見てオーディションに参加し見事合格。ジーン・シモンズ、ポール・スタンレー、ピーター・クリスが組んでいたバンドにリードギタリストとして加入し、1973年にバンド名をキッスに改名した。

1974年、キッスはデビュー作『Kiss(地獄からの使者)』、2nd『Hotter Than Hell(地獄のさけび)』と2枚のアルバムをリリース。印象的なフェイスペイントなどビジュアル面で注目されたが、商業的な面では大きな爪痕を残すことができなかった。

1975年、ライブ盤『Alive!(地獄の狂獣 キッス・ライヴ)』がヒットし、以降バンドは不動の地位を確立していく。1977年に初の来日ツアーを成功させたキッスは、翌年に各メンバーが自らの名前を冠したソロアルバムを同時リリース。そのなかでもフレーリーのアルバムは最もヒットし、収録曲の“New York Groove”(イギリスのグラムロックバンド、ハローのカバー)はシングルカットされ全米シングルチャートで最高13位にランクインした。

フレーリーは薬物の乱用、メンバー間のパワーバランスなどを理由にキッスの活動から離れていき、1982年にバンドを脱退する。

1984年にソロ活動をスタートさせたフレーリーは、キッス時代のソロアルバムにも参加していたアントン・フィグらと共にフレーリーズ・コメットを結成。アルバム『Frehley’s Comet』を1987年にリリースし、シングルカットされた“Rock Soldiers”がヒット。その後の作品は商業的に苦戦し、1989年にはエース・フレーリー名義でハードロック路線に回帰したアルバム『Trouble Walkin’』を発表している。

1995年、キッスが「MTVアンプラグド」に出演した際、フレーリーはオリジナルドラマーのクリスとともにゲストとして参加。約16年ぶりに公の場でオリジナルメンバーが顔を揃えたことで当時大きな注目を集めた。翌年にはオリジナルラインナップでの再結成ツアーをアナウンスし、同ツアーは商業的成功を収めている。

フレーリーが復帰したキッスはアルバム『Psycho Circus』をリリースしたのち、2000年に解散を宣言。同年よりフェアウェルツアーを開始したが、クリスが途中に脱退したためツアー自体が中断された。クリスの後任としてエリック・シンガーをドラムスとして迎え入れ、2001年には来日公演も行われた。

2002年、フレーリーはソルトレークシティオリンピックの閉会式でのパフォーマンスを最後にキッスから再び離れ、ソロ活動を再開。2014年にはキッスの一員としてロックの殿堂入りを果たしている。

近年は『Space Invader』(2014年)、スラッシュやポール・スタンレーらが参加したカバーアルバム『Origins Vol. 1』(2016年)、シモンズやフィグがゲスト参加した『Spaceman』(2018年)、『10,000 Volts』(2024年)など意欲作をコンスタントに発表し続けていた。

フレーリーはリードギタリストとしてだけでなく、キッスの象徴とも言える稲妻状のロゴマークをデザインしたことでも知られている。〈スペース・エース〉〈スペースマン〉の異名を持つギターヒーローの旅立ちに、世界中が悲しみに包まれている。

なお、キッスの公式SNSでもフレーリーへの追悼コメントが発表された。バンドは〈彼はバンドとその歴史において最も重要な基盤を築いた時期に、不可欠でかけがえのないロックの戦士だった。彼は今も、そしてこれからも永遠にキッスのレガシーの一部です〉とフレーリーの功績を称えている。