2024年4月5日、ニルヴァーナのカート・コバーンが亡くなって30年が経った。今年は没後に発表された名盤『MTV Unplugged In New York』(94年)の30周年でもあり、当時のニルヴァーナやカートの功績を振り返る動きも多い。そこで今回、Mikikiの連載〈94年の音楽〉では〈作曲家としてのカート〉にフォーカスを絞った。カートは後世に残る曲をなぜ作れたのか? ライターの黒田隆憲に論じてもらった。 *Mikiki編集部
作曲家/メロディーメイカーとしての非凡な才
その衝撃的な死から30年が経過した今もなお、〈グランジ〜オルタナティブロックのアイコン〉として揺るぎない評価と絶大な人気を誇るカート・コバーン。その影響力は音楽性のみならず、生き様や言動、ファッションにまで及ぶ。が、軸となるのはやはり彼のソングライター/メロディーメイカーとしての非凡な才能にあることは間違いない。
例えばそれは、ロバート・グラスパー・エクスペリメントやトム・ミッシュ、パティ・スミスらが“Smells Like Teen Spirit”をカバーし、シネイド・オコナーやハービー・ハンコック、ポスト・マローンらが“All Apologies”をレパートリーに取り入れるなど、ジャンルを問わずさまざまなアーティストがカート・コバーンの書くニルヴァーナの楽曲を愛してきたことからも、窺い知ることができるはずだ。
影響を直接反映させた曲作り
生前に残されたカートのインタビューを読んだり、ニルヴァーナの楽曲や、彼らがこれまで取り上げてきたカバー曲などを聴いたりすれば、カート・コバーンというアーティストがどのようなアーティストに影響を受け、それを自らの楽曲にどう反映させてきたのかがよくわかる。
例えば〈ロックの歴史を塗り替えた〉といっても過言ではない彼らの代表曲“Smells Like Teen Spirit”も、カートによれば「ピクシーズをパクろうと試みた」結果として生み出された楽曲だという(94年、ローリング・ストーン誌のインタビューより※)。ピクシーズのデビューアルバム『Surfer Rosa』(88年)を聴いて衝撃を受けたカートは、「ブラック・フラッグに影響を受けたそれまでの(パンキッシュな)曲作りを捨て、イギー・ポップやエアロスミスのような曲を作ろう」とした。その結果がニルヴァーナの2ndアルバム『Nevermind』(91年)だった。
確かに『Surfer Rosa』や、続く『Doolittle』を改めて聴き直してみると、“Break My Body”や“Gigantic”“Debaser”といった楽曲が、“Smells Like Teen Spirit”のリフ、コード進行、メロディ、リズムなどに与えたひらめきの数々に気付かされる。
カートに最初にギターを教え、ビートルズのレコードをプレゼントしたこともある叔母のメアリーは、カートが2歳の頃から“Hey Jude”を歌っていたと記憶している。以来ビートルズ、とりわけジョン・レノンは生涯を通してカート・コバーンの音楽性に絶大な影響を与えてきた。ニルヴァーナのデビューアルバム『Bleach』(89年)の3曲目“About A Girl”は、ヒネリの効いたコード進行や意表を突く転調がビートリッシュな楽曲だが、カートはこの曲を書く前に、『Meet The Beatles!』(アメリカで64年にリリースされたビートルズの2ndアルバム)を3時間ぶっ続けで聴いたというのは有名なエピソードだ。
ビートルズを筆頭とする60〜70年代の〈クラシックロック〉からの影響は、カート・コバーンのソングライティングを語る上で欠かせない。レッド・ツェッペリンの“Heartbreaker”や“Immigrant Song”、ブラック・サバスの“Hand Of Doom”、キッスの“Do You Love Me”のような、リフを中心とするハードロック/ヘヴィメタル曲をしばしばライブでカバーした彼らは、その影響を“Aero Zeppelin”という楽曲の中に詰め込んでいる。他にも、『MTV Unplugged In New York』ではデヴィッド・ボウイの“The Man Who Sold The World”を取り上げ、ツアーの移動中はクイーンを聴きまくるなど、音楽スタイルを問わず様々なアーティストからインスパイアされていた。
インディーミュージシャンへの愛と尊敬
またバンドが商業的な成功を収めると、自身がリスペクトするインディーミュージシャンを積極的にフックアップしてきた。例えばスコットランドはグラスゴーの〈アノラックシーン〉における代表格、ユージン・ケリー率いるヴァセリンズが世界的な注目を集めたのも、カートがことあるごとにリスペクトを表明し、彼らの楽曲“Molly’s Lips”“Son Of A Gun”“Jesus Doesn’t Want Me For A Sunbeam”(原題は“Jesus Wants Me For A Sunbeam”)をカバーしたことが大きい。
インディー界の鬼才ダニエル・ジョンストンもまた、カートがTシャツを着たり、腕にロゴのタトゥーを入れたりしたことがきっかけで広く知られるようになった。彼らや少年ナイフ、ミート・パペッツ、ハーフ・ジャパニーズらに共通するジャンクなポップセンスもまた、カートのソングライティングに大きな影響を与えていたことは、死後に発掘された“All Apologies”や“Do Re Mi”のホームデモを聴けば明白だ。
訃報の2ヶ月前に発売されたローリング・ストーン誌のインタビュー※で、R.E.M.について「彼らみたいな曲が2、3曲でも書けたら……」と羨望にも似たリスペクトを表明し、次のニルヴァーナのアルバムは「R.E.M.の前のアルバム(92年作『Automatic For The People』)のように、幻想的かつアコースティックなものになると思う」と語っていたカート。もしそれがリリースされていたら、古今東西様々な音楽ジャンルのエッセンスを散りばめたポップでキャッチーな彼のメロディセンスがこれまで以上にフィーチャーされ、ソングライター/メロディーメイカーとしての評価は今以上のものになっていただろう。

