YOASOBIが、今年3作目のシングル“劇上”を配信リリースした。“群青”“夜に駆ける”などと同じくBPM 130台で疾走していく同曲は、彼らにとって〈初めて〉づくしのナンバーとなっている。現在ホールツアー〈WANDARA〉で日本各地を巡っているYOASOBIの新たな代表曲について、ライターの伊藤美咲に考察してもらった。 *Mikiki編集部

YOASOBI 『劇上』 ソニー(2025)

 

現実という舞台でどんな役を演じるか

YOASOBIが新曲“劇上”をリリースした。今作は、フジテレビ系水10ドラマ「もしもこの世が舞台なら、楽屋はどこにあるのだろう」(以下、「もしがく」)の主題歌として書き下ろされた。これまでも数々のCMソングやアニメ主題歌を手がけてきた彼らだが、連続ドラマの主題歌を担当するのは意外にも今回が初となる。

「もしがく」は、脚本を務めた三谷幸喜の半自伝的要素を含んだ完全オリジナルストーリーで、菅田将暉、二階堂ふみ、神木隆之介、浜辺美波といった豪華キャストが出演する、1984年の渋谷を舞台とした青春群像劇である。

YOASOBIは“アイドル”の世界的ヒットを経て、コーチェラ・フェスティバルをはじめとした海外公演、そして2024年には結成5周年を記念したドーム公演〈超現実〉を成功させた。そんな世界規模で活躍する2人が放つ新曲“劇上”は、「もしがく」の主題歌であるとともに彼らの新章の幕開けを告げる一曲でもあるのだ。

まずは楽曲のテーマに目を向けたい。“劇上”のテーマは〈この世界は舞台であって、人間はみな役者である〉。これはシェイクスピアの喜劇「お気に召すまま」に登場する名台詞であり、理想のシェイクスピア劇を作ろうと奮闘する「もしがく」の主人公、久部三成(菅田将暉)ともリンクする言葉だ。

現代では、SNSを通じて誰もが自己表現や情報発信を簡単にできるようになった。インフルエンサーやYouTuberが職業として確立し、表舞台に出る人が急増したなか、逆に発信をしていない、または発信する頻度が少ない人は〈自分は何者でもない〉〈何の役割も与えられていない〉という孤独感や孤立感、疎外感のようなものを感じやすい世の中になってしまったように思う。

しかし、私たちが実際に息をしている世界はインターネット上ではなく、この現実という舞台の上なのだ。現実という舞台上ではSNSのフォロワー数にかかわらず、誰もが等しく役者の一人となる。”劇上”の歌詞にも〈完成された喜劇に身を賭して/指差され笑われる日々は/悲劇なのか/「このままでいいのか いけないのか」/それも全ては自分次第みたいだ〉とあるように、現実で自分が主役となるか、脇役ならばどんな役を演じるのか、その役でどのようなストーリーを紡いでいくのか、それを決めるのはまさに自分次第。私たちは”劇上”を通じて、この現実という舞台を使い、自由に踊ることができることに気付かされる。