静寂は歌い、そして踊る。人類の創造力400年の時空を超えて

 〈6歳か7歳だったとき、初めて曲を弾いた。400年近く前、紙の上に意思をもって散らされたひと握りの音符に、私は初めて触れたのだった〉と、ジャン・ロンドーは記している。〈それが他ならぬイ短調のプレリュード。この小さな前奏曲が序曲のように、文字どおり私を音楽へと手招きしてくれた〉と、当代きっての鍵盤の才人は言葉を継ぐ。17世紀中葉にフランス鍵盤音楽を革新したルイ・クープランとその周辺をじっくりとみつめ、CD 10枚組の全集にまとめる際、ロンドーはそのプレリュードG. 7を異なるチェンバロで二様に収めた。

JEAN RONDEAU 『ルイ・クープラン作品全集』 Erato(2025)

 35年ほどの生涯で遺された、ルイ・クープランの現存する全作を網羅。ロンドー独自に組曲を編成もするほか、偉才の師や弟子の作品も交えている。5台のチェンバロと2台のオルガンを弾き分けての独奏が大半をしめるが、古楽の精鋭たちや声楽家とともに愉楽に満ちた対話も織りなす。コンサート活動を休止して、2024年の8か月間に集中して録音されたというが、だからこそ触れられる時の流れと脈動があったのだろう。いつまでも聴いていられるから、いつ聴き終えることもない。不思議な漂泊の感覚が遥かなものとしてある。

 たっぷりと豊かで、美しく自然な音の響きを得て、静けさが花開くように悠久の時空が息づく。ルイ・クープランの鍵盤は、ゆったりと深い息をもって巧みに歌いかけるから、なおさらだ。ロンドー持ち前の雄弁な饒舌さを超えて、2021年春録音の『ゴルトベルク変奏曲』でも傾聴された静謐が、ここでも多彩な作品の華やぎと色濃い陰翳の奥行として広がる。音楽がやんだところ、響きが鳴りを潜めた後にも、静寂が語り、歌い、踊る。その豊饒は、すべてがそこから偉才の叡智、手と技によって汲み出されたと思えるほど深く、やさしく、やわらかく、意識と無意識のはざまに揺らめくようだ。

 悠然とした闇と光のなかから手繰り寄せられた響きの芸術は、少なくともその作曲家の誕生から400年ほどは生き延びた。そこに心と魂を通わせて、熱く生きる者がいるかぎりにおいて。はたして、誰かしらはこの類稀な創造の頌歌を、400年後の世界にも善く実らせることができるのだろうか?