ジミー・クリフが死去した。
ジミー・クリフが亡くなったことは、彼のFacebookとInstagramのアカウントで発表された。死因は発作と肺炎。81歳だった。
ジミーの妻ラティファ・チェンバーズは、下記のコメントを発表している。
深い悲しみのなか、夫のジミー・クリフが発作とそれに続く肺炎のため、この世を去りました。ともに歩んでくださった家族、友人、アーティスト仲間、そして仕事仲間のみなさまに心から感謝いたします。世界中のファンのみなさま、あなたたちのサポートが、彼のキャリアを通じて力になったことをどうぞ忘れないでください。彼は、ファン一人ひとりの愛情に深く感謝していました。また、この困難な時期に多大な支援と尽力をしてくださったクセイロ医師と医療スタッフのみなさまにも感謝申し上げます。愛しいジミーよ、安らかに眠ってください。私は、あなたの遺志に従います。この辛い時期に、皆様が私たちのプライバシーを尊重してくださることを願っています。より詳細な情報は、後日お知らせいたします。
また会いましょう。レジェンドよ。
ラティファ、リルティ、そしてエイカン
ジミー・クリフことジェイムズ・チェンバーズは1944年、ジャマイカのセント・ジェームズ教区生まれのレゲエアーティスト。
ジミーは、近所のサウンドシステム文化に触れ、小学生時代に曲作りを始めた。14歳で父に連れられてキングストンに移り、ジミー・クリフという芸名を名乗るようになった。
自身の曲をレコーディングしようとしてはうまくいかなかったジミーだったが、ある日、アイスクリームパーラーで働くレスリー・コングを捕まえ、アイスクリームパーラーにまつわる曲“Dearest Beverly”を売り込んだ。このことをきっかけにレスリーはプロデューサーとなり、ビヴァリーズ・レコーズを立ち上げ、ジミーを1960年にデビューさせた。
“Hurricane Hatty”をはじめ、“King Of Kings”“Dearest Beverley”“Miss Jamaica”“Pride And Passion”といったヒット曲をリリースしていったジミーは、1964年にニューヨーク万国博覧会のジャマイカ代表に選ばれる。さらに、英アイランドと契約してイギリスに移住。アルバム『Hard Road To Travel』で1967年に世界的なデビューを果たした。
そして、“Wonderful World, Beautiful People”“Vietnam”といった曲も話題になり、1972年に映画「ハーダー・ゼイ・カム」へ出演した。同作は、ジミーが手がけたサウンドトラック『The Harder They Come』とともに成功を収め、彼はレゲエを代表する国際的なアーティストの一人になっていった。
1980年代には、ブルース・スプリングスティーンがジミーの曲“Trapped”をチャリティアルバム『We Are The World』でカバーして注目を浴びたほか、1983年のアルバム『The Power And The Glory』をヒットさせ、1985年のアルバム『Cliff Hanger』がグラミー賞最優秀レゲエアルバム賞を受賞するなど、レゲエ界の第一線を走りつづけた。また、ザ・ローリング・ストーンズの1986年作『Dirty Work』にも参加している。
1990年代は、映画への出演や楽曲提供、国際的なフェスへの出演などを続けていき、なかでも1990年の映画「死の標的」に使用された“Rebel In Me”、1993年の「クール・ランニング」に提供した“I Can See Clearly Now”(ジョニー・ナッシュのカバー)などがヒット。映画「ライオン・キング」の関連作『Rhythm Of The Pride Lands』で“Hakuna Matata”を歌ったことも注目された。
2000~2010年代には、元ザ・クラッシュのジョー・ストラマーやスティング、ランシドのティム・アームストロングといったロックアーティストとのコラボレーション、ロックの殿堂入りなどで話題を振りまく。ティム・アームストロングがプロデュースした2012年のアルバム『Rebirth』は、グラミー賞最優秀レゲエ・アルバム賞を受賞した。最期のオリジナルアルバムは2022年の『Refugees』となった。2024年に映画「ボンゴマン ジミー・クリフ デジタルリマスター」が日本で公開されたことも記憶に新しい。
ルーツロックレゲエを受け継ぎながら、音楽性やジャンルを超えたコラボに挑戦するなど、世界各地の音楽家に影響を与え、ロックやパンクといった他領域のアーティストからも尊敬された歌い手ジミー。その美しくて温かい、伸びやかで力強い歌声は、まさにアンバサダーとしてレゲエを世界に紹介する役目を担った。平和を祈り、人々に訴えかけた彼の思想を忘れないためにも、ジミー亡きあとも彼の歌を聴きつづけていきたい。