ギタリストのスティーヴ・クロッパーが死去した。84歳だった。

スティーヴの訃報は、彼の遺族によりSNSを通じて伝えられた。なお、詳しい死因については現時点では明らかになっていない。

スティーヴ・クロッパーは、1941年10月21日に米ミズーリで生まれた。幼いころ家族でテネシー州メンフィスへと移り、14歳ごろに自らのギターを手に入れる。

その後、スティーヴはロイヤル・スペーズというバンドを結成。活動を続けていくなかでバンドはマーキーズと名前を変え、1961年にリリースしたデビューシングル“Last Night”が大ヒットを記録し、一躍有名となった。

そのままスティーヴはマーキーズの一員としてスタックス・レーベルの専属バックバンドとして活躍していたが、レーベルメイトであったブッカー・T・ジョーンズとの出会いを機にブッカーT & ザ・MG’sを結成する。同バンドもスタックスのハウスバンドとしてオーティス・レディングやウィルソン・ピケットといった面々をサポートしながら、1962年に発表した“Green Onions”がヒットし、バンドと共にスティーヴの名も世界に向けて広く知られていった。

さらにスティーヴは、ウィルソン・ピケット“In The Midnight Hour”(1965年)、エディ・フロイド“Knock On Wood”(1966年)、オーティス・レディング“(Sittin’ On) The Dock Of The Bay”(1968年)などの楽曲制作にも関与し、優れたソングライターとしてその手腕を発揮していった。1969年には初のソロアルバム『With A Little Help From My Friends』もリリースしている。

1970年にスタックスから離れたスティーヴは、ジョン・レノン、リンゴ・スター、ジェフ・ベック、タワー・オブ・パワー、ロッド・スチュワートなどのレコーディングに参加。翌年にブッカーT & ザ・MG’sが解散すると、スティーヴは1975年に活動拠点をメンフィスからロサンゼルスへと移し、ブルース・ブラザーズ・バンドに参加する。バンドも出演した1980年公開の映画「ブルース・ブラザース」は大ヒットを記録し、スティーヴはその続編「ブルース・ブラザース2000」(1998年)にバンドメンバーとして登場した。

そして、スティーヴは1992年リリースの忌野清志郎のアルバム『Memphis』のプロデュースを担当する。同作はメンフィスにて収録され、レコーディングには当時すでに解散していたブッカーT & ザ・MG’sのメンバーらが参加。この制作をきっかけにブッカーT & ザ・MG’sは再結成し、清志郎の全国ツアーにも参加した。

近年はフェリックス・キャヴァリエが参加した『Fire It Up』(2021年)、自身の新バンド、ミッドナイト・アワーを率いた『Friendlytown』(2024年)といった意欲作をリリースするなど、歳重ねても一切歩みを止めることはなかったスティーヴ・クロッパー。ブッカーT & ザ・MG’sではロックの殿堂入りを果たし、個人でもソングライターズ・ホール・オブ・フェームを受賞するなど、その功績と影響は計り知れない。

メンフィスを代表するサザンソウルの伝説的ギタリストとして、数多の名作を届けてくれたスティーヴ・クロッパーの死はただただ悲しい。