音楽史上指折りのインスト・バンド……スティーブ・クロッパー、ドナルド・ダック・ダン、アル・ジャクソンJr、そしてブッカーT・ジョーンズ。歴史を作って60年が経ったいま、その創造的な歩みを改めて辿ってみよう!

 60~70年代のソウル・ミュージックを象徴する南部の雄といえばスタックスである。その看板アーティストは大勢いたが、スタジオやライヴの場でレーベル初期からの躍進を支えた功労者という意味合いも含めれば、ブッカーT & ザ・MG’sが最重要な存在であったのは間違いない。例えばモータウンにも多くのソングライター陣やファンク・ブラザーズと呼ばれる名裏方はいたが、MG’sはスタジオで裏方として奮闘しながら本人たち名義でも数々のヒットを残したという点で大いに異なる。そんな彼らの最初のヒットこそ、62年にR&Bチャート首位を獲得した“Green Onions”である。そしてこのたび、同曲を収めた記念碑的なアルバム『Green Onions』が最新リマスターを施された60周年記念エディションでリイシューされた。ソウル音楽史上もっとも愛されるインストゥルメンタル曲のひとつとなった“Green Onions”が改めて見直されるタイミングが来たのかもしれない。

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 とはいえ、“Green Onions”のクールな響きはすでに時代を超えている。例えば「アメリカン・グラフィティ」(73年)や「さらば青春の光」(79年)といった映画での使用は特に有名だろうし、後者で使用された際には全英7位のリヴァイヴァル・ヒットを記録した。映画でいうと後年も「シングルマン」(2009年)や「5月の後」(2012年)で劇中を彩っている。また、同時代のジョージー・フェイムからカウント・ベイシー、キング・カーティス、〈フィルモアの奇蹟〉におけるマイク・ブルームフィールド&アル・クーパー、ジョニー・サンダース、ジェイムズ・テイラー・クァルテットに至るまで同曲を取り上げたアーティストは数多い。99年にはグラミー賞から〈グラミーの殿堂〉に認定され、2012年には米国議会図書館によって国家保存重要録音物(ナショナル・レコーディング・レジストリー)に登録もされた。シングルはリリース当時にも100万枚超のセールスを記録しているが、近年のストリーミングでも現在までに2億回以上の再生数を誇るそうで、まさに時代を超えた名曲として親しまれているわけだ。

 そんな不朽の名曲を60年前に生み出したのは、それぞれスタックスのスタジオに出入りしていたブッカーT・ジョーンズ(オルガン)とスティーヴ・クロッパー(ギター)、ルイ・スタインバーグ(ベース)、アル・ジャクソンJr(ドラムス)の4名である。33年生まれのスタインバーグと35年生まれのジャクソンはすでにウィリー・ミッチェルのバンドなどでキャリアを積んでいた演奏家で、41年生まれのクロッパーはスタジオ併設のレコード店で働きつつマーキーズなどで活動していた。そのレコード店の常連でもあったのが最年少となる44年生まれのブッカーで、16歳の時にサテライト(スタックスの前身)の初ヒットとなるルーファス&カーラ“’Cause I Love You”(60年)にサックス演奏で貢献していた。楽曲が生まれたきっかけは62年のとある日曜日、ロカビリー歌手ビリー・リー・ライリーのレコーディングを終えた4人の即興的なセッションをスタックス社長のジム・スチュワートが気に入って録音したこと。そして、後に“Behave Yourself”と名付けられるその演奏をレコードにすべく、そのB面曲を想定して30分ほどで完成されたのが“Green Onions”だった。ノヴェルティ・ソングのようなタイトルは、ネギの臭気がファンキーな雰囲気を連想させるという理由で名付けられたという。

 同曲は62年の夏にリリースされて全米3位まで上昇し、楽曲ありきで正式にバンドとなった4人は、秋にファースト・アルバム『Green Onions』も発表。彼らの飛躍はメンフィスの小さなレーベルに信じられないほどの利益とそれ以上の名声をもたらすことになる。現代の音楽にも強い影響を及ぼすスタックス印の〈メンフィス・サウンド〉はここで骨格を形作られ、広く全国に知られていくことになったのだ。勢いに乗った彼らは“Tic-Tac-Toe”(64年)から“Hip Hug-Her”(67年)までコンスタントにヒットを飛ばし、その過程の65年にはベーシストがドナルド・ダック・ダン(41年生まれ)に交替。クロッパーの学友だった彼はマーキーズやコブラズなどのバンドで演奏し、すでにMG’sの3人とはマーキーズの“Squint-Eye”(62年)やMG’sの“MG Party”(64年)などで演奏/共作していた。

 一方でMG’sはオーティス・レディングやカーラ・トーマス、サム&デイヴ、ジョニー・テイラーらレーベル仲間の作品でも多くの演奏/作曲/アレンジを手掛けており、メンバー4人とアイザック・ヘイズ+デヴィッド・ポーターの6名は〈ビッグ・シックス〉としてレーベルの音楽面を統括。舞台の表と裏を行き来するその活躍ぶりはスタックスの上昇を支える駆動輪となった。特にクロッパーは、ウィルソン・ピケット“In The Midnight Hour”(65年)やオーティスの“Fa-Fa-Fa-Fa-Fa (Sad Song)”(66年)、エディ・フロイド“Knock On Wood”(66年)などのヒット曲を共作し、なかでもオーティスの遺作“(Sittin’ On) The Dock Of The Bay”(68年)は全米1位を記録している。ブッカーの書いたアルバート・キングのブルース・クラシック“Born Under A Bad Sign”(67年)やウィリアム・ベル“I Forgot To Be Your Lover”(68年)も多くのリサイクルを生んだお馴染みの曲だろう。

 スタックスが転換期を迎えた68年からは、カリプソ調の“Soul-Limbo”を筆頭にMG’sの楽曲もさらに多彩になり、クリント・イーストウッド主演映画「奴らを高く吊るせ!」のテーマ曲をカヴァーした“Hang ’Em High”は全米9位まで上昇。69年にはブッカー制作によるスタックス初の映画サントラ『Up Tight』が登場し、そこからは全米6位のヒットとなった“Time Is Tight”と、ブッカーが歌うMG’s唯一のヴォーカル曲“Johnny, I Love You”も生まれている。ただ、そんななかでブッカーは、変化していくレーベルの運営体制への反発もあってMG’s以外のスタックス仕事を拒むようになり、69年夏にメンフィスを去ってLAに拠点を移してしまう。活動しながら大学で音楽理論を学んで創作意欲を膨らませてきた彼にとって、サイモン&ガーファンクルから依頼された“Bridge Over Troubled Water”への参加が許されなかったり、外部での仕事を禁じるレーベルの体質も不満の要因になっていたのだ。MG’sは70年にビートルズの『Abbey Road』を丸ごとカヴァーした『McLemore Avenue』を発表するものの、すでにマクレモア通りのスタジオに彼がいないことを思えば皮肉な表題でもあった。そのブッカーにLA移住を勧められても動かなかった3人ではあったが、やがてクロッパーも扱いの悪さに心が折れてスタックス退社を選んでいる。