多次元で境界が揺らぐ時代、弦楽四重奏の拡張が、他者と向き合う意味を問いかける

 「色を塗られた鳥、時空を舞う」は小説・映画「異端の鳥」(原題「ザ・ペインテッド・バード」)にインスパイアされた3人の作曲家、足立智美、中村明一、Ayuoの作品によるコンサートDVDだ。収録は2023年4月6日の東京都杉並公会堂。

AYUO 『色を塗られた鳥、時空を舞う』 Ayuo Music(2026)

 いずれも基本は弦楽四重奏団の演奏だが、足立智美の“蝶が猿とあくびする(パヴェル・ハース)に倣って”とAyuoの“色を塗られた鳥、時空を舞う”では、立岩潤三の打楽器や他の楽器で刻まれるリズムが東欧や西アジアの伝統音楽を思わせる。高橋アキのピアノとAyuoのプサルテリウムが、西洋のいまと古の響きをつなぐ。中村明一の“『月白』尺八と弦楽四重奏”では、現代音楽の語法をときには尺八の通奏音が支え、ときには対話のように交わる。

 弦楽四重奏とジャズ、ロック、世界各地の伝統音楽などの折衷は、これまでにもクロノス・クァルテットをはじめ多くの人々が行なってきた。このDVDに収録された演奏も、そうした境界を押し広げる試みという側面を持っている。

 それは「異端の鳥」とどう関わっているのだろう。

 映画では舞台は、第二次世界大戦下、中・東欧のどこかの田園地帯だ。主人公の少年は疎開先で一人暮らしの祖母が亡くなった後、村々をさまよい続けるが、どこに行っても差別され、暴力的な事件が起こり、やがて彼自身も暴力の当事者になる。黒い瞳ゆえ災いのもとと忌み嫌われることで、彼がユダヤ人かロマかあるいはもっと東方の出身者であることが暗示される。末尾近くでは、「薄汚いユダヤ人野郎」とののしられる場面もある。

 しかしこれは、特定の時代や民族の物語に収束する作品ではない。極限下でなくとも、〈多数派とは異なる者〉がこうむる差別や排除とその反作用は、いたるところでいまなお起こっている。その不条理を象徴するのが“色を塗られた鳥”のエピソードだ。鳥を捕まえて売る男が、小鳥の羽に色を塗って群れに放すと、その鳥は群れの中で仲間の鳥たちに攻撃される。排除の論理が他者に対してだけではなく、集団内の差異に対しても働くのだ。

 モノクロームで撮影された映画の登場人物の多くが薄汚れた姿なのに対し、自然の風景は繊細でただただ美しい。台詞は最小限に抑えられている。劇伴はなく、映画で聞こえる音楽は、少年がピアノで弾く“エリーゼのために”と野営地で共産軍の兵士が弾くアコーディオンぐらいだ。

 「異端の鳥」に触発されて生まれた音楽は3者3様だ。

 Ayuoの“色を塗られた鳥、時空を舞う”は、物語に寄り添っている。大幅に加筆して最近英語版でも発売されたAyuoの自伝的音楽論「アウトサイド・ソサエティ」によれば、彼は「異端の鳥」の主人公とは真逆にニューヨークの多様な文化人脈の中で育った。しかし16歳で〈均一な〉社会に帰国した彼を待っていたのは、過酷さは比べられないとはいえ〈色を塗られた鳥〉としての立場だった。ここで演奏される“ユーラシアン・タンゴ”には、そこからの出口に思いを馳せる彼の祈りもこめられている。

 中村明一は、西洋音楽からすると、〈他者性〉の極にあるような尺八を使いながら、他者のまま弦楽四重奏と共存する可能性を探っている。彼の曲の後半のはじまりは、まるでプログレッシヴ・ロックのようで、弦の響きがいつしか雅楽の音取や乱声に逆転して聞こえてくるのがおもしろい。

 足立智美によれば、彼の曲の“第2楽章”で上野洋子がうたう歌詞は、複雑なプロセスを経て作られたもので、〈いかなる意味とも対応していない〉という。それは映画で主要な言語としてスラヴィック・エスペラント語が使われていたことの可能性と限界にも対応している。ウクライナ戦争を例にあげるまでもなく、汎スラブ(あるいは汎〇〇)主義は、侵略や抑圧の論拠に容易に転化させられるからだ。彼の曲は、その逆説をふまえた、映画に対する批評的なオマージュかもしれない。

 多次元で境界が揺らぐ時代に、このDVDの弦楽四重奏の拡張は、他者と向き合うことの意味を問いかけてくる。過剰な演出のない映像の中、ミュージシャンの真摯なまなざしや動きが印象に残る。