一音楽家の個人史と20-21世紀音楽との交差とずれと

 音楽家ひとりひとりに歴史がある。世の音楽が移り変わってゆくのとともに、個人が成長し、ふれてゆく音楽が広がったり狭まったり、変わったり変わらなかったりするなか、生まれてくる音楽が、つくられてゆく音楽が変わる。本を読み、人と出会い、絵や映画をみ、テクノロジーに、メディアに、社会のなかで揺れ動く。

 昨2018年、『アウトサイド・ソサエティ』(月曜社)を上梓したAyuo。今度は自伝的な本にもとづいたコンサートをおこなう。ふだんライヴハウスでおこなっている活動とはすこし違って、音楽が、語りが、フィルムが融合したものという。いわく、マルチメディア音楽劇。Ayuo本人のことばはこのようだ──「1960年代のニューヨークで育ち、様々な文化から来た家族の間で起きた文化的な衝突、アイデンティティーの問題をテーマとする。中世ヨーロッパ音楽、日本伝統音楽、オリエント音楽、プログレッシブ・ロックの要素を取り入れたこれまでになかった美しいタペストリーを繰り広げる。」

AYUO Outside Society Ayuo Music Records(2019)

 コンサートではアルバム『アウトサイド・ソサエティ』もリリースされる。こちら、聴く機会があったのだが、1曲1曲も、変化のながれのなかで、つまりアルバムというコンテクストのなかで聴くと、一層おもしろい。立岩潤三のパーカッションが打ちだすグラウンド。久東寿子の二十五絃箏が切れ目をいれる余韻のある、それでいてアクセントのある音。中村明一の、既存の楽器の概念を揺るがす、奔放な尺八。作詞・作曲から台本、映像、うたから各種楽器を手掛け、ときに上野洋子と声を併走させるAyuo。

 さまざまな音楽が交錯し混じりあう。聴けば聴くほど、そして、いろいろな音楽を知っていれば知っているだけ、この音楽の混血度がみえてくる。おもしろくなってくる。それでいて、むずかしいところなんかない。もしかしたら、いま、“ポピュラー・ミュージック”からはずれる音楽はあ(りう)るのか、と問いがAyuoに(も)あるんじゃなかろうか? 文字どおり、それが「アウトサイド・ソサエティ」?

 


LIVE INFORMATION

2019年夢枕公演 「アウトサイド・ソサエティ」
○7月3日(水)18:30開場/19:30開演
会場:すみだトリフォニーホール小ホール
出演:Ayuo(歌・g・bouzouki・ukulele・台本・映像・作詞・作曲/中村明一(尺八)久東寿子(二十五絃筝)立石潤三(perc, ds)上野洋子(歌・accordion, b, perc)
www.triphony.com/concert/201907list.html#003216