パフォーマー・如月小春に出会える/再会できる一枚。参加メンバーも豪華でなんとも贅沢!
1986年にリリースされた唯一のアルバムに、2曲を追加した『都会の生活 +2』が登場。曲によって違うけれども、高橋悠治、坂本龍一、高橋鮎生(現AYUO)、近藤達郎、数住岸子、れいち、といった人たちが参加している。
如月小春、1956年生まれ、2000年没。「きさらぎ・こはる」と「如月小春」と。しばらくは音と文字とが一致しなかった。30年以上前、昔のはなしだ。
第二次世界大戦が終結して、寺山修司が、唐十郎が、鈴木忠士が新しい身体を舞台のうえで展開するようになる。別役実が、つかこうへいがあらわれる。そして1980年代。新たな小劇場演劇が盛んになる。野田秀樹、渡辺えり子、鴻上尚史、川村毅、そして如月小春。みな20代前半から半ばという若さ。
如月小春は劇団「NOISE」を主宰。だが狭義の演劇に飽き足らず、中心には演劇が、舞台があったかもしれないが、もっと広く触手を伸ばして活動をおこなった。エッセイがあり小説があり、ラジオがあった。自らが扱った都市とテクノロジー、一種の終末感とメルヘンの混淆といったテーマと、活動そのものが重なっているようにみえた。
舞台での音・音楽も意識的で、作品のなかにうたがはいってくることもあった。そして、このように自らがうたうアルバムもリリースされた。うたっている、のだが、そのうたはけっしてうまくはない。堂々としたシロウトっぽさ。あっけらかんとして奥を秘めない声。それが妙につくりこまれた電子的サウンドや、妙にシンプルなつくりや、とともにうかびあがっては、いつのまにか、消える。「あっている」というより「違和」を、そしてその違和のつよさを突きつけてくる。それでいて、あらためて、独立させて口ずさめるようなものだってあったりもし。
1980年代のサウンド、として聴くもよし。如月小春というパフォーマーと出会う/再会するもよし。参加ミュージシャンの現在と対比するもよし。けっこう贅沢なアルバムではないか。