非方向な記憶
70年代後半、フェルドマンは、イラン南西部のシラーズを訪れる機会があり、そこで伝統的なラグに出会い、魅了されたという。その後、教え子だったバニータ・マーカスをともなってトルコ各地を旅行して、さまざまなラグの工房を見学したとも伝えられている。ラグに対する熱狂的ともいえるフェルドマンの興味は、その作風や手法にも強く作用しているが、それは“Why Patterns?”や“Patterns in a Chromatic Field”、“Crippled Symmetry”などのタイトルからも窺い知ることができる。
ペルシャのラグのように全体のパターンを俯瞰しながら個々のパターンを仕上げていくのと違って、トルコのラグでは、パターンを織り込む過程で、出来上がった個々のパターンをこれからはじめる新たなパターンの下に次々と折り込ませていくという。そのため、パターン全体を鳥瞰することができない。つまり、出来上がったパターンの記憶のなかで新たなパターンが織り込まれることになる。フェルドマンの音楽においても、このトルコのラグの制作過程のように、それぞれの音型パターンは、全体的な構造のなかで配置されたり、構成されるのではなく、ラグ職人のように記憶を介在させながら、個々のパターンの連鎖によって全体がかたちづくられる。その結果として、反復のなかに微細な偏差をともなった不均一なパターンの連鎖が生み出されるのである。フェルドマン自身、このような記憶という曖昧性や不確かさを含んだ作曲のプロセスについて「記憶の非方向性の形式化という意識的な試み」だと語っている。
フェルドマンの肖像写真をみると、その分厚い眼鏡が印象的である。その分厚さが物語るようにフェルドマンはかなりの弱視だった。僕とのレッスンのときもフェルドマンは、しばしば五線譜の紙面に顔を押しつけて見るような格好だった。おそらく、トルコのラグの場合も、その文様の細部をじっと凝視していたのではないだろうか。また、作曲するときも、このように至近距離のなかで音符のひとつひとつを丹念に楽譜に書き綴っていったのであろう。その狭い視界のなかで書き綴られた個々のパターンは、繰り返されるなかでフェルドマンの生気が与えられ、その微細なパターンのゆらぎが聴き手の意識をさらに高めていく。そこにフェルドマンの音楽がもつ崇高さがたち現れてくる。