これぞインディー精神! 自由な創作を貫いた若者たちの素顔に迫るドキュメンタリー。
アメリカのロック・シーンにオルタナ・ブームが巻き起こった90年代。アメリカのインディー・シーンでは〈グランジ〉〈ローファイ〉〈ポスト・ロック〉など次々と新しい動きが生まれていた。そんななかで、異彩を放っていたのが〈エレファント6〉だった。90年代後半にエレファント6というロゴをジャケットに記したバンドが次々と登場。レーベル名かと思いきや、違うレーベルから出ているバンドにもロゴが描かれている。彼らのサウンドには共通するところがあり、クレジットを見るとお互いの作品に参加している模様。そんな彼らにいち早く反応したのが、コーネリアスの小山田圭吾が主宰するレーベル、トラットリアで、アップルズ・イン・ステレオ『Fun Trick Noisemaker』(95年)の日本盤を発表。さらにカヒミ・カリィがオリヴィア・トレマー・コントロールとコラボレートするなど、エレファント6のバンドは日本のロック・シーンに影響を与えた。
その後、エレファント6の正体が次第に明らかになり、2000年代に入ってアメリカのロック・シーンで彼らの再評価の声が高まるなか、エレファント6の歴史を紹介したドキュメンタリー映画「エレファント6レコーディング・カンパニー」が公開された。映画ではエレファント6の創設者、ロバート・シュナイダー、ウィル・ハート、ビル・ドス、ジェフ・マンガムの発言を中心にして、その奇妙で愛すべき歴史が紐解かれていく。
80年代後半、彼ら4人はルイジアナ州ラストンに暮らす高校生だった。音楽を通じて知り合った4人は、カセットテープに曲を宅録する楽しさに目覚める。そして、彼らは架空のレーベル、エレファント6を設立。取り憑かれたように音楽を制作し、高校を卒業して何人かがラストンを離れてからも、お互いに自分が作った曲をテープで送りあった。やがて4人はジョージア州アセンズに集結すると、シュナイダーはアップルズ・イン・ステレオ。ウィルとビル、ジェフはオリヴィア・トレマー・コントロールを結成。その後、ジェフは自身のバンド、ニュートラル・ミルク・ホテルをスタートさせる。そして、シュナイダーは活動拠点としてエレファント6を実際に設立して、彼らは本格的に音楽活動を開始した。
エレファント6がユニークなのは、レーベルが違っても、彼らが同士として認めたバンドにもエレファント6を名乗ることを許したこと。彼らの同志とは〈ペイヴメントとビーチ・ボーイズを掛け合わせたようなサイケデリック・バンド〉だった。マッドサイエンティスト的な探究心を持つロバートは、自宅スタジオをビーチ・ボーイズにあやかって〈ペット・サウンズ・スタジオ〉と命名。そこは猫が走り回って散らかり放題。友人達が寝泊まりすることもあり、彼らは猫臭いスタジオを〈ペット・スメル・スタジオ〉と呼んでいた。絵心があるウィルやビルはエレファント6の作品のアートワークも手がけ、ユニークなヴィジュアルもエレファント6のカラーになる。そんな彼らに惹かれて、次々とバンドがエレファント6のコミュニティに参加した。
90年代後半。オルタナ・シーンの間で人気があったグランジの人気が下火になっていく一方で、マッチョで攻撃的なグランジとは対照的に、インドアでアート志向のエレファント6のバンドが注目を集めるようになる。なかでも、ニュートラル・ミルク・ホテル『In The Aeroplane Over The Sea』(98年)が高く評価されてカルトな人気を集めるようになった。今回、人前に出るのを嫌うジェフが映画用に収録したインタビューはないが、過去のインタビューから映画に使えそうなものを提案したという。
エレファント6の人気が高まると勝手にエレファント6のロゴを使うバンドも出てきたそうだが、〈本家〉は気に留めなかった。それよりも、エレファント6という謎が広がっていくことを楽しんだ。そして、彼らは有名になることより、自由に創作できることを重視。メジャーデビューには興味を持たず、気ままな創作活動を楽しんだ。エレファント6というレーベル名がマックス・エルンストの作品に由来していることが明らかにされるが、彼らはインディー界のシュルレアリストだったのかもしれない。そんな音楽とアートをこよなく愛した若者たちの青春時代が、関係者の証言で浮かび上がる。