
〈コーネリアスの曲で歌っている彼〉に会いたくて
――映画を観ると、エレファント6を始めた高校からの友人4人――ビル・ドス、ウィル・カレン・ハート、ジェフ・マンガム、ロバート・シュナイダー――の個性の違いがとても重要だったと感じました。それこそ、ビートルズのように。
「私もそう思います。歴史を振り返ると、ときどきこういう奇跡的な巡り合わせがありますよね。子どもの頃からの友人同士だったり、何らかの縁で出会った人たちが、それぞれ異なる個性や得意分野を持ち寄る。そして、それらが組み合わさることで、一人ひとりの力を足し合わせただけでは生まれない、大きな何かが生まれます。彼らもまさにそういう存在だったと思います。
もうひとつ、彼らの大きな強みは周りの人を巻きこむ力でした。先ほども話したように、身近にいる人たちを自然に自分たちの創作へ引きこむのが本当に上手だったんです。その結果、作品には新しいアイデアや複雑さが加わり、どんどん豊かなものになっていきました。
だからこそ、エレファント6というシーンやコミュニティは、子ども時代を過ごしたルイジアナ州ラストンから始まり、その後、何人かが移り住んだジョージア州アセンズや、ロバートが移ったデンバーでも、さらに大きく花開いていったんです。
それぞれの土地に種をまいていくようなものだったんです。そして、その種はちゃんと芽を出し、花を咲かせました。とりわけアセンズでは、数えきれないほどのミュージシャンやバンドが集まり、まるで大きなカーニバルのような、とても豊かな創造の場が生まれました。それぞれが独立した活動をしながらも、どこかでつながっている。そんな独特のコミュニティだったんです。
私は、そこがこの集団のいちばん特別なところだと思っています。彼らだけが美しい作品を生み出したわけではなく、周りの人たちにも創作する力を与え、それぞれが自分自身のアートを生み出せるよう後押ししていたんです」
――なるほど。私が映画を観ていて興味深かったのは、彼らが〈アウトサイダー〉、はみ出し者だったと語られている点です。私からすると、みんな豊かな個性と才能があって、魅力的な人ばかりだと思えるんですが、アメリカの田舎町では彼らのようなアート志向のキッズたちは〈アウトサイダー〉として扱われたのでしょうか。
「そういった部分はあると思います。たとえば私自身もアメリカ南部の小さな町の出身ですが、南部には独特の文化があって、ときにはその文化に対して反発しなければならないと感じることがあるんです。とくに創造的な人には、そういう資質を持った人が多いと思います。より閉鎖的で保守的で、自分たちの価値観と異なる考え方をあまり受け入れない文化のなかにいると、自分がその文化と対立する立場に置かれてしまう。すると、とても孤立した気持ちになるんです。
でも、やがて自分と同じように感じている人、自分と同じ孤独を抱えている人に出会う。その瞬間に、とても強い絆が生まれます。そのつながりは、とても親密で、とても個人的なものなんです。優れた芸術というのは、まさにそういうところから生まれるのだと私は思っています。自分の内側にある、とても親密で個人的な世界を見つめ、その内なる世界を誰かと分かち合おうとすることにこそ、素晴らしい作品が生まれる源泉があるのだと思います」


――ええ、エレファント6にはまさにそういうケミストリーが感じられますね。ちなみに映画のはじめのほうでコーネリアスの楽曲が流れますが(“CHAPTER 8 〜Seashore and Horizon〜”)、映画を制作するなかでエレファント6と日本のつながりについて発見することはありましたか?
「じつは面白い話があって、ロバートがケンタッキーへ引っ越してきたとき、最初に仲良くなったのは僕ではなく、僕の親しい友人たちだったんです。その友人たちから、〈彼はアップルズ・イン・ステレオっていうバンドをやってるんだ。知ってる?〉と聞かれたんですが、僕は知らなかったんですよ。すると今度は、〈じゃあニュートラル・ミルク・ホテルのアルバムをプロデュースした人だよ〉と言われたんですが、それも知らなくて。それから、〈コーネリアスの『Fantasma』に入っている、あの曲で歌っているのが彼なんだよ〉と教えられたんです。それを聞いて、〈えっ、本当に!? あの曲、大好きなんだけど!〉ってなったんです(笑)。
じつは、それが僕にとってロバートの仕事をはじめて意識した瞬間でした。当時は、あの曲で歌っているのはショーン・レノンか誰かだと思いこんでいたんです。でも、本当に美しい曲だと思っていたので、それがロバートだと知って、〈ぜひ会ってみたい〉と一気に気持ちが高まりました。もともとコーネリアスのアルバムが大好きでしたからね。
それから彼らについて知っていくうちに、ロバートと、当時のパートナーでありアップルズ・イン・ステレオのドラマーでもあったヒラリー・シドニーが、コーネリアスに招かれて日本でいっしょにレコーディングをしたことも知りました。その経験は、ふたりにとって本当に特別な思い出になったようです。
アメリカのミュージシャンにとって、日本で評価されることには特別な意味があると思います。日本の人たちは音楽に対する審美眼が優れている、というイメージをみんな持っていますからね。だから、日本のリスナーに受け入れてもらえることは、本当に光栄なことなんです」