去る5月26日に行われたM83のライヴは、言葉を失うほどに素晴らしかった。初来日となった〈フジロック〉出演から早7年。今回は初の単独公演であると同時に、メガヒットを記録した2011年の前作『Hurry Up We’re Dreaming』を発表してから最初のステージでもある。つまり、いまや代名詞となった名曲“Midnight City”が生で聴けるだけでも足を運ぶ価値はあったわけだが、ライティングを駆使した音と光のエンターテインメントは、そんな期待値を遥かに凌駕していた。彼らの出自であるエレクトリック・シューゲイザー/ポスト・ロック的なインスト・パートも織り交ぜつつ、キャッチーな歌心と力強い演奏でオーディエンスを圧倒。ソロ・プロジェクトから出発したM83がスタジアム規模のバンドに成長したことを知らしめる、集大成的なパフォーマンスだったと思う。
そしてもちろん、当日のセット・リストで中心を担ったのは、今年4月にリリースされた最新アルバム『Junk』からのナンバーだ。同作では大胆なモード・チェンジに挑んでいるが、残念ながら同作に対する海外メディアの評価は(信じられないことに)芳しくない。しかし、実は過去作を上回るほどロマンティックな収録曲の数々は、従来のレパートリーと並べてプレイされることで、ようやくその真価が伝わった部分もあったような気がする。「僕はあえて欠陥を残したかった」と、M83の首謀者=アンソニー・ゴンザレスは述べているが、ポップ・ミュージックの魔法を信じる夢見がちなマエストロは、どのような考えでこのアルバムの制作に取り掛かったのか。以前掲載したトクマルシューゴのインタヴュー記事とも共振する、音楽制作へのこだわりと問題意識を打ち明けてくれた。
※写真は世界各地で行われたライヴのものです
今日では、どんな音楽家も〈Junk〉になる宿命を背負っている
――ポール・マッカートニーにも“Junk”という曲がありますが、失われていくものへの郷愁をテーマに扱っている点で、今回のアルバムに通じたトーンを感じるんですよね。どういう作品を作りたかったのか、改めて教えてもらえますか?
「僕にとって〈Junk〉というのはある種のステートメントで、音楽や芸術全般を消費するその有り様を意味しているんだ。今日の音楽/映画業界では、あらゆるものが物凄い速さで進んでいる。毎日多くのコンテンツが生まれているけど、もはや誰しもそこに時間をかけなくなっている。それってもう、僕が理解できる世界ではないんだよね。僕はお気に入りのバンドの新作を待ち侘びて、(リリース日になったら)お店に出向いてレコードを買ってきたし、一旦手に入れたアルバムは何か月も繰り返し聴いたものさ」
――だけど、いまは状況が変わってきている。
「そう。iTunesやSpotifyで簡単に曲を聴くことができるし、ちょっと気に入らなければ、すぐ次の曲に移ってしまう。だから、このアルバムを『Junk』と名付けることにした。僕らアーティストは、ゆくゆくは〈スペース・ジャンク〉になるという運命を辿ることになると思う。どれだけ素晴らしいクラシックの音楽家や著名なDJであろうと、最終的に同じ宿命を背負っているんだ。そして、そういうことを考えていると、なんだか生命について自信が持てるんだ。ある意味、死に対する恐怖にも立ち向かえるようになる。みんな同じ運命なんだと考えたら、自分についても自信が持てるようになるんだ」
――音楽を取り巻く環境については、昔のほうが良かったと思いますか?
「いや、どちらが良かったという話ではなくて、〈いまとは違っていた〉ということさ。最近は、音楽といえばシングルありきだもんね。アルバムではなくて1曲単位。あるいはInstagramやFacebookとか……。音楽そのものがどうこうというより、それを取り巻くイメージのほうが大事になってきているんじゃないかな。僕がミュージシャンとしての活動を始めたのは15年くらい前だけど、その頃とは全然違うよね。当時はSNSもなかったし、ただ自分の作品を出して、ひたすらメディアと話をすることで、僕の音楽は知られるようになった。その頃のほうが良かったとは言わないけど、いまはとにかく状況が違う。昔のやり方を恋しく思っているのは事実だね。お店でアルバムを買ったりすることが懐かしいよ。僕は古い世代のアーティストだから、こういう新しい体制に上手く向き合えないのかもしれない」
――『Junk』のラストに収録されている”Sunday Night 1987”という曲でも、〈失われた記憶/色褪せた写真/僕を連れ戻してくれないか〉(Lost Memories, Fading Pictures / Can you drive me back to this very moment?)と歌っていましたよね。そういったノスタルジーは、これまでもM83の音楽で大事にされてきた部分だと思います。
「僕にとって、音楽を作るのは自分が過去と繋がる唯一の手段なんだよ。だから音楽を作ることで、幼かった日の思い出や、青春時代に自分が大好きだったもの、感動した経験を思い返すことができるんだ。それに音楽は、自分の気持ちや感情を表現するためのものでもあって、僕の感情というのはノスタルジーや過去の思い出を失っていくことに向けられている場合が多い。そういう感情は僕の心に深く宿っていて、過去のアルバムでも大切な人との別れや、取り戻せない記憶への喪失感などを歌ってきた。だからそうだね、僕にとって音楽を作るのは、記憶を書き留めるための作業でもあるんだ」
――ただアウトプットの仕方は、作品ごとに変化してきましたよね。例えば近作でいうと、『Saturdays=Youth』(2008年)は青春映画のようだったし、『Hurry Up, We’re Dreaming』では大長編のファンタジーが描かれていた。
「そうだね。自分がキャリアを築くうえでも、毎回違うアルバムを作るように心掛けている。ファンを毎回違う旅に誘おうとしているのさ。自分にとってもそのほうが楽しいし、リスナー目線で考えても、好きなバンドには常に驚かされたいね。クリエイティヴかつ冒険的であり続ける、それってすごく大事なことだと思うよ。例えばデヴィッド・ボウイやルー・リードは、作品ごとに自分をリニューアルしようとしてきた。僕も自分なりにそうしようとしているだけさ」
――なるほど。『Junk』ではどんなことを意識しましたか?
「おそらく、M83はシネマティックで壮大なイメージを持たれていると思う。それは間違いないんだけど、今回のアルバムではもっと人間らしさを持たせたかった。楽しくてフレッシュで、それでいてメランコリックなもの。メランコリックなんだけど、明るさを伴うものにしたかったんだ」
――それはなぜ?
「僕もアーティストとして、あるいは一人の人間として成長しているつもりだからね。歳も取ってきているし、20年前に聴いていた音楽がそれほど好きでもなくなったと感じるときもあるし。逆に、新しいものやこれまでとは違うタイプの音楽も聴くようになったし、自分のテリトリーを拡大しようとしている。ここ5年間は、これまでとは違う音楽に影響を受けているよ。フレンチ・ミュージックやアンビエント、ジャズをもっと聴くようになったし、そういった要素を今回のアルバムにも反映したかった」
――確かに、“Bibi The Dog”はフレンチ・ポップ色がキャッチーに表現されているし、収録曲の節々でアンビエントや映画のサントラに傾倒している様子が窺えます。
「あと今回のアルバムでは、TV番組の音楽にもインスパイアされている。70~80年代の古めかしいサウンドを再現したかった。それに、自分の親が好きだった音楽も大きいね。セルジュ・ゲンスブールやフランソワーズ・アルディ、ミッシェル・ポルナレフにジャン・ミッシェル・ジャール――まだ僕が幼くて反抗的だった頃は、親が聴くような音楽なんて大嫌いだった。でも、改めて聴き直したら、あまりにセンスがいいから驚いたんだ」
――そういった自国のオールド・スクールな音楽と共に、「となりのサインフェルド」のようなTV番組の音楽にも影響されたそうですね。フランスで生まれ育ったあなたが、そういうアメリカのポップ・カルチャーに刺激されたというエピソードは、日本人の立場からしてもシンパシーを感じます。
「80年代のフランスで育ったことを、僕は本当にラッキーだと思っている。なぜなら、日本のアニメをたくさん放映していたからね。日本のアニメはとても成熟しているし、容赦ない表現を惜しまないよね。死をテーマにしたり、暴力的な描写を交えたり。そういうものを観ていると、自分が急激に大人びていくような感覚に陥ったものさ。まだ7、8歳の子どもをそんなふうに思わせるなんて、すごいことだと思うよ」
――どのあたりが好きだったんですか?
「松本零士の『宇宙海賊キャプテンハーロック』や『銀河鉄道999』、寺沢武一の『コブラ』。宮崎駿も好きだし、松本大洋の『ナンバーファイブ 吾』、それに『AKIRA』……挙げはじめたらきりがないよ(笑)。最近のアニメは教育や幸福にまつわるものばかりで、セックスや暴力などについて触れることはないし、ただひたすらハッピーな感じでしょ。それは間違っていると思う。人生はいつもハッピーなわけではない。生きるのは大変なことだって、子どもにしっかり教えないとね」
失われつつある過去のサウンドを呼び戻したかった
――先ほど話に出た〈70~80年代サウンドの再構築〉はこれまでも実践していましたが、『Junk』ではマニアックな執念がより目立っている印象です。機材や演奏については、どういった部分にこだわりましたか?
「これまでの作品と同様にアナログ・シンセを多用する一方で、パーカッシヴな要素を多く採り入れたかった。例えば今回のアルバムでは、ドラムスの音を徹底して70年代っぽい、ドライな感じにしている。あとは音楽により人間味を与えるために、本物のストリングスやブラスを入れることにこだわった。ピアノもたくさん弾いているし、ハーモニカやサックスなども使っている。たくさんのミュージシャンを起用しているし、レコーディング手法もいろいろ試してみた。テープに録音したり、アナログ・ボードを使ってみたりとね。だから、制作という観点では規模が大きくなったとも言える。当時のサウンドに忠実であろうとした結果、そうならざるを得なかった」
――やっぱりコンピューターでは替えが利かないものですか?
「難しいよね。僕は自宅にスタジオを設けているんだけど、そこにはアナログのコンソールも設置してある。古い手法を用いて音楽を作るのが、僕は好きなんだ。コンピューターで作られた音楽に反対するつもりはまったくない。実際に素晴らしい音楽もたくさん生まれているしね。でも、僕は過去のツールを使うほうが好きだ。そのほうが自分の個性を表現できると思う」
――機材やソフトウェアの発達もあって、音楽はどんどん簡単に作れるようになってきていますよね。でも、『Junk』は〈簡単に作らない〉ことで、別の方向性を示しているようにも映りました。余計な手間暇を敢えて費やし、作り込むけどパーフェクトな正解とは違う何かをめざしているというか。
「そうだね。“Sunday Night 1987”“For The Kids”や“Moon Crystal”といった曲では、ストリングスなどの演奏を存分に聴かせたかったから、カットすることもなかったし、極力手を加えないように心掛けたよ。70年代の音楽には、ミスがそのまま収録されている。チューニングが狂っていたりすることもあるけど、それがサウンドに動きをもたらしていた。だからこそ70年代の音楽はおもしろかったと思うんだ。サウンドもクリーンではなかったし、欠陥もたくさんあったのに。だから、このアルバムのいくつかの曲ではそういった欠陥をあえて残しているんだ」
――アルバムに参加したゲストの話も聞かせてください。まず、あなたにとってベックとはどんな存在でしょうか?
「すごく尊敬しているアーティストの一人だよ。10代の頃は、彼の熱烈なファンだった。さっきもそういう話をしたけど、アルバムごとに新しい自分を提示しているのが素晴らしいと思う。ポップに振り切った作品からバラード・アルバムまで幅広く手掛けているし、サウンドもいつも実験的だよね」
――スティーヴ・ヴァイの参加にも驚きました。彼はフランク・ザッパの門下生でもありますが、大きく括るならハード・ロック/ヘヴィー・メタルを代表するギタリストだと思います。そういう音楽も昔から好きだったんですか?
「子どもの頃に、ギターを練習しながらメタルもよく聴いていたんだ。アイアン・メイデンやジューダス・プリースト、ジョー・サトリアーニとかね。それで、ヘヴィー・メタル的なギター・ソロは、いまや禁止されたような扱いを受けている気がしないかな? 少なくとも、ポップ・ミュージックの世界では誰も使っていないし、チープで時代遅れだと思われがちだ。それって悲しいことだよね。80年代を象徴するサウンドだと思うし。僕は今日においても、まだ役立つ道はあると強く信じている。そういった、失われつつある過去のサウンドを呼び戻したかったんだ」
――そういった例は他にもありますか?
「ハーモニカかな。“Sunday Night 1987”に使っているよ。いまではあまり耳にしなくなっているけど、『真夜中のカーボーイ』のサントラに収録されたジョン・バリーの演奏のように、かつては映画でも存在感を放っていた。スティーヴィー・ワンダーが70年代に作ったアルバムもそうだね。こういう楽器を呼び戻すことも、過去を記憶に留める方法の一つなんだ」
――あと今回のアルバムは、可愛いジャケットも印象的です。
「これ以前のジャケットはすべてシリアスだったよね。ドリーミーでロマンティックだったと思うけど、今回はそのイメージを崩したかった。もっとパンクで愉快でランダムというか、ちょっと意味不明なニュアンスを表現したかった。そもそも、僕らがいま生きている社会が意味不明だからね」
――ヴィジュアル・イメージを変えることで、自分の音楽が誤解されることへの不安はなかったですか?
「このアルバムについてはいろんな意見があるだろうね。そうなることはわかっていた。それについて怖いなんて気持ちはない。もう自分のアルバムについての不安や恐怖を感じる歳でもないしさ。音楽なんて取るに足りないものだし、僕らの存在もちっぽけなものだ。自分たちがいったい何者なのかもよくわかっていない。でも、そこが人生のいいところでもある。僕にとって、人生そのものや音楽を作ることはゲームなんだ。自分のファンを驚かせることにワクワクしている。だから不安や心配はないよ。新しい冒険に連れ出せるならそれでいい。もしかしたら、ファンが期待していた冒険とは違うものかもしれないけど、音楽はいつも驚きで溢れているべきだから」
――アルバムのテーマや音楽観をたっぷり語ってもらいましたが、自分のなかで共感できるアーティストといえば誰が思い浮かびますか?
「メランコリックな音楽は昔からあるけど、ブライアン・イーノやシガー・ロスが持つ美学を僕は受け継いでいると思う。あとはダフト・パンクやエール、フェニックスなど、フランス出身のミュージシャンには共通した音楽ヴィジョンを感じるね。どこかにメランコリックな要素があるし、過去の文化を積極的に引用するスタンスもそう。例えばダフト・パンクは、もともと70年代に使われていたヴォコーダーを採り入れて、現代のポップ・ミュージックに甦らせている。エールが手掛けた、映画『ヴァージン・スーザイス』のサントラにも70年代の要素が感じられるよね。フランス人はとてもノスタルジックな人種なんだよ。そういうテイストがあるから、アメリカや海外で受け入れられたんじゃないかな」