生涯の友をもつこと、フレイレとブラームスの場合。
ネルソン・フレイレのピアノを聴いていると、なんだか自分がよい人間になったような気がする。どこかとても正直な気持ちになる。とくにコンサートを聴くと、逞しさと繊細さ、強さと脆さが、ともに愛おしく感じられてくる。完全無欠ではないままの、その飾りのない純朴さに、心がうれしくなる。
この7月、すみだトリフォニーでのリサイタル前日に話をきいた。今年2月に録ったばかりのブラームス・アルバムを目にすると、フレイレは「まだもっていない。はじめてみたよ。聴いた? 良かったかい?」と言って笑った、「というのも、自分の録音を聴いたことがないんだ」。
ブラームスはフレイレ長年の情熱で、いまから50年前、コロンビアでの初録音も新作と同じヘ短調ソナタを含むアルバムだった。「シューマンの“謝肉祭”とシューベルトの“即興曲集”も同じときに録音したんだ。1967年4月、ヴィタートゥーアでね。私のヨーロッパ・デビューとなったレコードだ。すぐあとにルドルフ・ケンペとのレコーディングがあって、4日間で4つの協奏曲を録音した。素晴らしい指揮者で、素晴らしい人間だった。ケンペのことが私は大好きでね。というのも、彼はしゃべるのが好きじゃないんだ。私も話すのは好きじゃないから」
ごめんなさい……と言うと、フレイレは大きく笑った。「いまは大丈夫。何年もかかって、少しずつ話すことを学んだけど、以前はひどいものだった。子どものときにラジオのインタヴューを受けて、なにか聞かれても、ただ黙ってうなずくだけだった。まったくの無音というわけだ(笑)」
NELSON FREIRE 『ブラームス・リサイタル ピアノ・ソナタ第3番/4つのピアノ小品 他』 Decca/ユニバーサル(2017)
デビュー盤に選んだのは、ブラームスのソナタ第3番が、彼にとって特別な曲だったからだ。「ブラームスのレコードをつくりたかった。このソナタは10代になる前から弾いていて、私の人生の一部だったから。ウィーンに行く前、リオ・デ・ジャネイロでの最後のリサイタルでも弾いた。このソナタは、生涯の友だちだった。ときには、好きな作品があっても、曲のほうが好いてくれないこともある。好きなものに、好かれるのは、素晴らしい気分だよ(笑)」 そして半世紀後の今年、ソナタの再録音に臨んだ。「年をとってくると、過去を振り返りたくなるものだろう。それもひとつの理由だと思う(笑)。私はとてもノスタルジックな人間だから、古い写真や手紙をみて過去を思い出したりするのが好きなんだ」
それでも、フレイレ独特の音の温かさや率直なアプローチは大きくは変わらない。「まず、聴いてみないと比べられないな(笑)。だけど、年齢を重ねても、アプローチは変わらないと思う。フレージングは話しかたと同じで変わらないし、リズムも歩きかたといっしょだ。指紋と同じように。いろいろな経験をしても、人はやはり自分のままだと思うよ」
しかし、音楽はもっと自由になったように感じられる。「そうだといいと思う。私は過去の偉大なピアニストが大好きだけど、もっとも尊敬するところは彼らが自由であることだ。たぶん、長い年月を経て、私の音も豊かになり、色彩が増したのではないかと思う。いつもではないにせよ、ときにはさらに自由になった。自分自身の状態がよく、リラックスしているときには」
ピアノを3歳のときに始めて、やめたくなったこともなければ、ピアニストになりたいと決心したこともないと言う。「子供の頃、私はとても病気がちでね。ピアノで話すほうが、言葉でより、ずっとよく話せた。即興もしていたしね。音楽は楽しむべきものでもあると私は思う。ピアニストが舞台に出て、ただハードワークの続きをするようなものだと、喜びにはならないから、私はそれを忘れて弾きたい。たしかに暗い部分もたくさんあって、決してかんたんな道行きではないよ。ひとりきりで、大きな責任を担うし、旅も多い。プログラムを1年前に決めたりするのも、自由の真反対であると思う。新鮮さを失わずにいるのは困難だけど、ほんとうに大切なことだ。ステージの上に立つときは、自分のベストを尽くさなくてはいけない。だけど、ベストを尽くすには、自分のベストを感じなくてはいけない。それが大事だね。心地よく、喜びをもって、音楽を楽しみ、音楽を愛する。ステージに行くときは、私のすることに注目してほしいのではなく、この気持ちをみんなと分かち合いたいんだ」