ジョーン・アズ・ポリス・ウーマンを名乗るジョーン・ワッサーの音楽家としての歴史は長い。90年代からアメリカのインディー・シーンで活動し、亡きジェフ・バックリーの元恋人で、彼女の共演者のリストにはルー・リード、ニック・ケイヴ、ベック、アントニー・アンド・ザ・ジョンソンズ(アノー二)、ルーファス・ウェインライト、ノラ・ジョーンズらのビッグ・ネームが連なっている。
そんなジョーン・アズ・ポリス・ウーマンが通算6作目となるアルバム『Damned Devotion』をリリースした。……だが、ジョーン・アズ・ポリス・ウーマンって誰?というのがここ日本の多くのリスナーにとっての認識だろう。そこで、Mikikiでは彼女の歩みをプレイバック、ライター・天井潤之介がその長きにわたるキャリアを紐解いた。ワッサーの歴史を振り返るうちに、ここ20年のNYの音楽地図も見えてくるはず。そんな充実の特集記事を、ぜひ新作『Damned Devotion』とともに味わっていただきたい。 *Mikiki編集部
JOAN AS POLICE WOMAN 『Damned Devotion』 Play It Again Sam/Hostess(2018)
ジェフ・バックリー、アノーニ、ルーファス・ウェインライト――キャリア初期の交流
ジョーン・アズ・ポリス・ウーマン(以下、JAPW)ことジョーン・ワッサー。この、日本で名前が知られているとはお世辞にも言いがたい彼女について、そのイメージや評価は、出会ったタイミングや聴き手のアングルによってそれぞれ異なるかもしれない。その作品を追いかけてきたファンにとっては、セイント・ヴィンセントと並ぶNY発の知性派女性シンガー・ソングライターとして。あるいは、2000年代から通じてその動向を傍目で視界に収めていたリスナーにとっては、引く手数多のマルチ・インストゥルメンタル奏者として。もしくは、インディー・ロックのディガーにとっては、USオルタナティヴの系譜、ライオット・ガール~リリス・フェア※に連なる末っ子として。逆の見方をすれば、すなわち、それだけJAPWというアーティストにはアプローチするためのフックが用意されているということ。そして、先ごろリリースされた最新アルバム『Damned Devotion』は、そうしたさまざまに伸びる彼女のキャリアの集約点として、まさにふさわしい作品だと言えるように思う。
ワッサーがJAPWとして活動を始めたのは2000年代の初めごろ。2004年に自主制作でリリースされたセルフ・タイトルのEP『Joan As Police Woman』が最初の作品になるが、彼女の音楽キャリアのスタートは、それより10年近く前の90年代にまで遡る。まずは、USオルタナティヴ/グランジ・ムーヴメント真っただ中の90年代初頭に、進学のため地元ノーウォークから渡ったボストンでヴァイオリニストやキーボーディストとして参加したバンド、ダムビルダーズ※。そして、その解散後の90年代後半に、彼女がフロントマンとして結成したバンド、ブラック・ビートル。
とりわけブラック・ビートルについては、当時ワッサーの恋人だったジェフ・バックリーの急死を受けて、彼のバック・バンドのメンバーと結成されたという経緯も併せて、彼女のよく知られた経歴のひとつだが、加えて、この時期の彼女は他にも興味深い活動をそのプロフィールに残している。それは、当時ヘリウムのメンバーだったメアリー・ティモニーと結成されたプロジェクト、ホット・トリックスやマインド・サイエンス・オブ・ザ・マインドとしての活動。ティモニーと言えば近年はエックス・ヘックスや、スリーター・キニーのメンバーらと結成したワイルド・フラッグとしての活動でも知られるが、マインド・サイエンス・オブ・ザ・マインドには、90~92年にかけてディスコードに所属していたシャダー・トゥ・シンクのネイサン・ラーソンも参加。こうしたワッサーの90年代における活動の数々は、そのミュージシャンとしてのルーツやバックグラウンドを物語るものだと言える。
一方、そうしたバンド活動と共に、ワッサーがJAPWとして活動を始めるにあたってその〈前段〉となったのが、さまざまなミュージシャンとの交遊録。なかでも注目すべきが、アントニー・ヘガティ(アノーニ)とルーファス・ウェインライトとの関係だろう。ボストンでのバンド活動に区切りがついた99年に、ワッサーはデビューしてまだ間もないアントニー・アンド・ザ・ジョンソンズにヴァイオリニストとして参加して活動を共にする傍ら、マーキュリー・プライズを獲得したアルバム『I Am A Bird Now』(2005年)の制作に貢献。そして、前述のEP『Joan As Police Woman』と同年の2004年には、ルーファス・ウェインライトに請われてツアー・バンドに参加し、バッキング・ヴォーカルやストリングスを担当。それ以降も現在に至るまで、彼女は自身の作品の内外で多くのミュージシャンと共演を重ねていくのだが、とりわけこの両者とは、その周辺の人脈とも創作を共にする間柄を築くことになるという意味で、特別な縁だったと言える。たとえば、後に実現するルー・リードとの共演は、そんな縁がもたらした出会いのひとつだろう。