今年もいよいよ終わりになるが、先日ステレオガールを、その直後にbetcover!!を、彼らのライヴを2018年中に観ることができたのは良かった。川本真琴やマヒトゥ・ザ・ピーポー、hideといったカリスマを想起せずにはいられないフロントガールのanjuを筆頭に、黒ずくめの衣装を纏った5人で、ホラーズを思わすダークなサイケデリック・ポップを奏でていたステレオガール。そして、ソロ名義=ヤナセジロウ時におけるアクの強いソウル・シンガー然とした振舞いとはうってかわって、バンド編成でひたすらにノイジーでささくれだったグランジーなロックを鳴らすbetcover!!。ダビーでレイドバックしたテンポの楽曲を演奏する際でも、やなせの目は一切笑っておらず、〈青春の殺人者〉と言いたくなる形相がいまも忘れられない。

ステレオガールの2018年作『ベイビー、ぼくらはL.S.D』収録曲“ぼくらはわかくてうつくしい”
 
betcover!!の2018年のシングル“海豚少年”
 

かくして、各演者のパフォーマンス自体が筆者にとって大変な衝撃だったのだが、この2組を立て続けに観たことで、わかってきたこともあった。それは、彼ら、つまりいまの若者たちは、〈叫び〉に転化せずにはいられない、なにがしかの感情を抱えているということだ。

後日知ったところ、betcover!!のライヴ・サポートを務めるベーシスト&ドラマーは、ニトロデイのメンバーだという。なるほど、硬く重たいリズムは、やはり90年代オルタナ譲りというわけだ。ニトロデイというバンドのバイオグラフィー的な説明――10代後半の高校在学中から注目を集め、これまで大小さまざまなイヴェントに出演、年長のバンドからのラヴコールもやまず……というセンセーションについては、今年7月リリースの『レモンドEP』時に掲載されたコラムに詳しいので割愛。この稿では、彼らが先日リリースした初のフル・アルバム『マシン・ザ・ヤング』について解説しながら、前掲の2バンドを含めた若手バンドたちが持つ同世代的な空気へと迫っていこう。

ニトロデイ マシン・ザ・ヤング SPACE SHOWER(2018)

『マシン・ザ・ヤング』収録曲"ジェット"

 

 

『マシン・ザ・ヤング』のサウンド面での特徴を挙げるとすれば、鉄線で首を絞めていくようなギター・サウンドと件の屈強なリズム隊、そこに乗るぶっきらぼうなヴォーカル。これらは、ニトロデイ登場時からの基本要素と言っていい。ビートの跳躍力が増したり、プロダクション面での凹凸がはっきりしたことでポップさを増したりなど、『レモンドEP』からの進化も嗅ぎ取れるが、まずはこのバンドの特徴である焦燥感や破壊力にフォーカスした、初作らしいアルバムになった。

『マシン・ザ・ヤング』トレイラー
 

いや、そもそもニトロデイやステレオガールのような、オルタナティヴやエモを参照にしたバンドは、90年代のリアルタイム時より途切れることなく存在してきた。2010年前後に登場したシャムキャッツHomecomingsはルーツを辿ればそれらに行き着くし、近年でもshe saidや先日KiliKiliVillaから7インチをリリースしたJurassic Boysといったバンドは、その憧れをてらいなく具現化できている印象だ。だが、彼らの音楽性は、えてしてメロディー・オリエンテッド。つまり、終着点は大きく捉えれば〈うたもの〉であった。言い換えると、ニトロデイのような〈叫び〉を中心に置いているバンドは、近年のインディー・シーンにおいて、さほど目立たなかったのだ。だからこそ、彼らが新世代としてシーンを席巻せんとする現状には新鮮さを感じている。

 

では、ニトロデイはいかなる感情を叫びに託しているのか。本作『マシン・ザ・ヤング』の1曲目“ヤングマシン”では、こう歌われている。

でっかい爆弾抱えて微笑んで見せて
そのままデッドに飛び込んで全部終わりにするさ “ヤングマシン”

この、ストレートな破壊……いや破滅願望。“アルカホリデー”では〈外へ飛び込んで洗われ流され溶かされりゃいいのに〉、“フライマン”では〈このままどっか消えたいのに〉といったフレーズが出てくるなど、彼らの基調のひとつに〈この世界からとっとといなくなってしまいたい〉という感情があることは間違いない。かつてカート・コバーンは“I Hate Myself And Want To Die”という曲を作り、日本でもその先でART-SCHOOLやsyrup 16g、古明地洋哉といったアーティストが、ネガティヴな感情をときに激烈にときに美しく表現に昇華してきた。

とはいえニトロデイは、みずからがナルシシズムに耽溺することを許さない。『マシン・ザ・ヤング』において描かれているのは、〈火星から来た少女と恋に落ちる〉妄想や〈汗の残り香〉でフラッシュバックする記憶。意図的に道化のニュアンスを挿し込んでいるようなフロントマン・小室ペいの歌い方もあいまって、その青春の風景は、常に自嘲気味のユーモアやサーカスティックな感覚が漂っている。そもそも、〈ハイティーン キックス/それはまるで泡のよう〉と歌っているように、若さ自体が刹那であることに、ニトロデイは自覚的なのだ。

 

もしかすると、その自己批評的な眼差しこそが、彼らがまず影響源として挙げている90年代後半に登場した日本のバンド――ナンバーガールやスーパーカーから受け継いだものなのかもしれない。特にニトロデイと同じく高校在学中から注目を集めた後者は、初作『スリーアウトチェンジ』(98年)で〈なんにもない〉という甘い諦観と裏返しの〈なんでもできる〉という自由の感覚を歌ったが、それらが世代の声となったのは、神戸・淡路大震災とオウムを経てのポスト・カタストロフな時代のムードを冷静に捉えていたからだ。そして、そうした視点で『マシン・ザ・ヤング』を聴くと、このアルバムがリプリゼントしているのは、いまの時代を覆っている、どう足掻いても拭うことができない〈敗北〉の感覚だ。

でも殴り返すこともできずにただフラつく
殴り返すこともできずにただよろめく
殴り返すこともできずにただ膝つく
殴り返すこともできずにまた負けです “ボクサー”

つまり、ニトロデイは、時の流れに、年長世代に、数の暴力に、階級間の闘争に、決して勝てないことを自覚している。何をやったって何も変わらない――そのシニシズムに違和感を覚える人もいるだろう。だが、冷静に考えてみてほしい。決して誰も責任をとらず、偽りを隠そうともしない、正義なきこの時代において、若い世代が抱えざるをえない、無力感の重たさを。彼らは、ただただ絶望しているのだ。

だが、言葉に出口を見出せないフラストレーションは、いま〈叫び〉として絞り出されている。ニトロデイやステレオガール、betcover!!――ここに奈良の新世代、ARSKNやハードコア・パンクの希望、NOT WONKを加えることもできるだろう――彼らの多くはまだ語るべき言葉を見出すタイミングではないのかもしれない(その面で、グランジ~ハードコアな音像を突き詰めつつ、時代の空気を言語化したGEZANの『Silence Will Speak』は、この時代のマイルストーンになるだろう)。

けれども、ニトロデイを含めた新たな世代の面々は、叫ばねばならぬ内的必然をありあまるほどに抱いている。その軋みから生み出された悲鳴が、なんらかのひび割れを起こしていく可能性は、きっとある。

 


Live Information
マシン・ザ・ヤング リリース・ツアー

2019年2月10日(日)神奈川・横浜BB STREET
出演:ニトロデイ and more(※2マン)
開場/開演:18:30/19:00
チケット:前売り2500円/当日3000円

2019年3月3日(日)大阪・心斎橋Pangea
出演:ニトロデイ、NOT WONK
開場/開演:15:30/16:00
チケット:前売り2500円/当日3000円

2019年3月22日(金)東京・新代田FEVER
出演 : ニトロデイ(※ワンマン)
開場/開演:19:00/20:00
チケット : 前売り2500円/当日3000円

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