コラム

ショーケン=萩原健一 追悼――自由に歩いて愛し歌い演じて生きた表現者の両輪人生を偲ぶ

Exotic Grammar Vol.63-1

ショーケン=萩原健一 追悼――自由に歩いて愛し歌い演じて生きた表現者の両輪人生を偲ぶ

自由に歩いて愛し、歌い演じて生きた表現者。
ショーケン/萩原健一の両輪人生を偲ぶ

 白シャツに黒タイ、Ray-Banのグラスに黒いトレンチコート、小脇に朝刊を挟んだ青年が直江津/新潟/秋田方面青森行きの急行列車〈しらゆき号〉に乗り込んで来る。席に座ると彼はやにわに新聞紙を顔に被せて寝てしまう……元テンプターズの、という看板を自ら塗り替えるかの気概を身に纏い、そんな参上の仕方で新生俳優・萩原健一は1972年3月21日公開の映画「約束」で銀幕上に現われた。ふと目覚めた時、彼が発した第一声は「どこだ、ここは!?」のせりふであり、寝ぼけ眼が窓外の風景を捉える間もなく車輛はトンネルに入り、眼前を遮断してしまう。やがて一本のヘアピンの存在(=新聞紙がずり落ちぬよう、向かい席の女性が彼のコートに挟んであげたもの)に気づいた青年が笑みの会釈を交わしつつ、岸惠子扮する年上女性に投げかけるせりふはこうだ。「ねえねえ、アンタの顔って、笑ったほうがいいね」。そして母性への照れ笑いを返す……。

 多感な中学/高校期と、青嵐のようなGS盛衰期がぴったり重なったじぶんは当時17歳。大学進学直前に鑑賞したはずの「約束」はまんまGS的甘美な幻想世界からの卒業作品だったのか、と今更ながら想う次第だ。同作の公開日は連合赤軍〈総括〉殺人事件が自供され、世間が騒然としていた直後、巷の空気も曇天模様。〈僕ら〉の時代が終焉し、のちに〈始まりの終わり/終わりの始まり〉と評された季節のなかで封切られた一作だった。予告予告篇の惹句が〈裏日本縦断ロケ1000キロ〉と謳い、全編の〈9割が車内シーン〉説もある土砂崩れの立ち往生劇。ベテラン女優・岸惠子が演じる服役中の女囚役(=殺害した夫の墓参りを主目的に女性刑務官と仮出所の旅行中)との一期一会な悲恋長編。虚無という椅子でさえ座り心地が悪そうなショーケン生来の居住まいが、中原朗を名乗る青年(=じつは彼も傷害現金強盗容疑の逃亡犯)の衝動的恋愛感情を/羅針盤喪失の時代性と相まって観衆心理の移入を擽って止まない斎藤耕一監督の画を、宮川泰の旋律が包む。

 同年7月から始まった「太陽にほえろ!」のマカロニ刑事役は〈俳優面〉のショーケンを世に知らしめた有名作。事件解決後の立ちション中に刺される例の殉職シーンが大きな話題と継承性を生んだが、「約束」での存在感に重きを置くじぶんにとっては「(テーマ曲は)ロックでやらせてくださいよ。それが出演の条件です」と石原軍団からの要請に対峙し、1クール分を撮り終えた時点で「降ろしてください」と日テレ幹部に直談判。結果、降板成就まで約50本の出演を強いられたものの、自らの発案であの斬新にして衝撃的な引退場面を遺した萩原自身の内面劇のほうに「太陽」への出演価値を覚える。

 かの「傷だらけの天使」も放映当時は大学生活の享楽に感けていたせいか、毎週欠かさず観ていたという記憶がない。トマト/コンビーフ/魚肉ソーセージ/クラッカー等を貪り食う件のタイトルバックを「本編一本分ぐらいの充実感がありました」と的確に評し、「彼のようなアイドルで、スターで、そして優れた表現者っていう人は稀有」と簡潔に追悼したのは名優・山崎努(キネマ旬報6月上旬特別号にて)。萩原自身は映画とテレビの連続ドラマの相違を「宮大工とユニットの違いです」と表わし、「映画が本身の刀による真剣勝負なら、テレビは木刀の試合だ。だが木刀でも確実に命を落とす」と、後者の経験を重ねたからこそ「映画である程度自在に演じることができたように思う」と分析している。自身が「脚本の段階で上手くいくと思った」映画作品は「約束」「青春の蹉跌」「誘拐報道」の3本、テレビでは「前略おふくろ様」と「課長サンの厄年」を挙げている。最後の自伝本「ショーケン 最終章」のなかでは「否定に次ぐ否定」と自らの俳優人生を述懐し、こう綴っている。「『太陽にほえろ!』で演じた悪を討つ正義の刑事を否定するために、『傷だらけの天使』ではエロあり暴力ありでチンピラのような若者をアドリブ満載で演じた。それを否定するために、『前略おふくろ様』では純朴で照れ屋の板前を、台本のせりふ一字一句を変えずに演じた」。

 寺山修司は誰よりも〈退屈〉を嫌ったが、萩原健一は「いったん自分に飽きてしまうと、表現者としては致命傷になる」と言い、自分の中に眠る「可能性の限界への挑戦」を終生追い求めた。今でも多くの信奉者を持つ〈傷天〉神話にも、「確かにあの時代の気分を表していたかもしれないけれど、気分と演技は違う。気分というのは公害にもなりますからね」と極めて冷静だ。表現者としての人生を要約したこんな言葉もある。「黒澤さんの映画に出て、心が焼け火箸で焼かれたように爛れて、それから『もどり川』でかさぶたができて、警察に捕まってかさぶたが取れ、つるっとなったという気がしますね。そういう過程はある」(絓秀実との共著「日本映画『監督・俳優』論」 から)。あるいはこんな人生観も、「自分で歩いて壊したほうがいい。足踏みをせず、まずは一歩、踏み出してみることだ。すると次の足が出る。それが結局、〈生きている〉という証じゃないのか」(前掲の自伝から)。

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