INTERVIEW

小林亜星『小んなうた 亞んなうた~小林亜星 楽曲全集』 巨人の音楽人生を振り返る

Exotic Grammar Vol.64-2

小林亜星『小んなうた 亞んなうた~小林亜星 楽曲全集』 巨人の音楽人生を振り返る

「作ったものはダメ。作らなくても自然に湧いてくる音楽、それが湧くまで待たなくちゃいけない」  

 すぐに頭に血が上ってちゃぶ台をひっくり返し、息子(西城秀樹)まで投げ飛ばしてしまう石頭だけど情にもろい頑固オヤジ…。小林亜星のパブリック・イメージは、70年代のTVドラマ「寺内貫太郎一家」(74~75年 TBS系)の主人公として定着し、今に至っている。しかし言うまでもなく彼は俳優である前にすぐれた作/編曲家であり、「貫太郎」以降もたくさんの名曲を世に送り出してきた。

 先日87才になった小林は1960年代以降、膨大な数のCMソングや歌謡曲、童謡、アニメ音楽などを作ってきたが、特にCMとアニメにおける業績は抜きんでている。戦後日本の大衆音楽文化を語る際、中村八大や筒美京平、阿久悠や松本隆などと並ぶキーパーソンとして絶対に忘れてはならない存在なのだ。

 そんな巨人の多岐にわたる音楽的業績をまとめた作品集が出た。題して『小んなうた 亞んなうた~小林亜星 楽曲全集』。〈歌謡曲編〉〈コマーシャルソング編〉〈こどものうた編〉、そして2枚組〈アニメ・特撮主題歌編〉の4編から成る計5枚。

VARIOUS ARTISTS 小んなうた 亞んなうた 小林亜星 楽曲全集 歌謡曲編 Columbia(2019)

 〈歌謡曲編〉は、76年度のレコード大賞を獲得した都はるみ《北の宿から》で幕を開け、美空ひばり《京の手まり唄》、加藤登紀子《赤い風船》、岩崎宏美《恋待草》、更に大原麗子《ピーコック・ベイビー》、左とん平《秋田から来た先生》、アントニオ古賀《十円チョーダイ!》、泉ピン子《哀恋蝶》、松坂慶子《赤い靴はいてた淫らな娘》等Youtubeで人気のレア音源まで計20曲を収録。

VARIOUS ARTISTS 小んなうた 亞んなうた 小林亜星 楽曲全集 コマーシャルソング編 Columbia(2019)

 〈コマーシャルソング編〉は、小林の出世作となった《ワンサカ娘'64》や《イエ・イエ》(レナウン)、《どこまでも行こう》(ブリヂストン)、今なおTVで流れ続ける《日立の樹(この木なんの木)》(日立製作所)、そしてCMソングの歴史的名作である《酒は大関こころいき》(大関酒造)や《サントリー・オールド:人間みな兄弟》(サントリー)等々、計52曲。

VARIOUS ARTISTS 小んなうた 亞んなうた 小林亜星 楽曲全集 こどものうた編 Columbia(2019)

 〈こどものうた編〉は、71年の発表時にレコード大賞童謡賞を受賞しドリフターズもカヴァした《ピンポンパン体操》や、日本のクリスマス・ソングのスタンダードとなった《あわてんぼうのサンタクロース》、幼児番組で今も歌い継がれている《ぼくは忍者》など計26曲。

VARIOUS ARTISTS 小んなうた 亞んなうた 小林亜星 楽曲全集 アニメ・特撮主題歌編 Columbia(2019)

 そして〈アニメ・特撮主題歌編〉は、最近朝ドラ「なつぞら」でもモデル作品として登場した《狼少年ケン》を筆頭に《魔法使いサリー》《ひみつのアッコちゃん》《ユカイツーカイ怪物くん》《花の子ルンルン》《ガッチャマンの歌》《ドロロンえん魔くん》《コン・バトラーVのテーマ》など2枚組で計55曲という大ヴォリューム。

 最も古い音源《狼少年ケン》(63年)から一番新しいCM曲《クラシアン社歌》(2014年)まで、約半世紀にわたるこれらの楽曲(計153曲)は、戦後日本、特に昭和という時代を形成した貴重な文化遺産である。

 

 小林亜星が東京の渋谷区で役人の父と劇団員だった母の下に生まれたのは1932年(昭和7)の8月。その3ヶ月前には五・一五事件(犬養首相の暗殺)が起こり、翌年には日本が国際連盟を脱退。戦争の暗雲が刻々と広がりつつあった頃である。音楽に関する小林の最も古い記憶も、戦争と分かちがたく結びついている。

 「長野県小諸市のお寺に集団で学童疎開したんですが、娯楽が何もないので、夜になるとよく僕が皆の前でハモニカを吹いて聴かせていた。軍歌とか童謡とか。《お山の杉の子》(44年発売)がちょうど流行っててね。特に、疎開から東京に帰る最後の夜、全員の前で吹いた時の光景は今も鮮明に憶えている」

 疎開前に東京でよく聴いていたのは日本初のジャズ・ソングと言われる二村定一の《アラビヤの唄》(28年発売)だった。

 「叔父がよく連れてってくれた新宿のカフェで聴いて大好きになっちゃってね。空襲の時も防空壕に蓄音機を持ち込み、小さな音で《アラビヤの唄》ばかり聴いていた。薄明りの中で聴いていたあの曲こそが僕の音楽人生の原点かもしれない」

 童謡の《お山の杉の子》とジャズ・ソング《アラビヤの唄》…既に小林のその後の人生を予見しているようなエピソードではないか。

 そして終戦。亜星少年はいよいよ音楽と本格的に関わってゆく。45年、慶応の普通部(中学)に入った13才の小林はさっそくギターを入手して学友たちとバンドを組んだ。スティール・ギターを擁するハワイアン・バンドではあるが、やっていたのはジャズ。戦後すぐにラジオから流れてきた《センチメンタル・ジャーニー》に感動し、すっかりジャズかぶれになったのだという。腕を磨いた彼らはやがて学外でも演奏し始めたが、新橋の進駐軍クラブに出ていたのを学校の担任に見つかり、停学処分。怒った父は小林のギターを風呂の焚き付けにした。ちなみにそのバンドのリーダー格は、後にカントリーの人気バンド、ワゴンマスターズ(後にホリプロを設立する堀威夫もメンバー)やワゴンエース(寺内タケシも在籍)で活躍することになる原田実である。

 クラスメイトの冨田勲や林光といつも音楽の話ばかりしていたという高校時代は、合唱部に入って楽譜の読み書きを習得。父の希望どおり慶大医学部に進んだものの、再びバンド活動に熱中しすぎて落ちこぼれてしまい、やむなく経済学部に転部。卒業後はいったん会社員(某有名製紙会社)になったが、やはり音楽の夢は絶ち難く、ほどなく辞めて作曲家の服部正に弟子入り…そんな音楽漬けの青春時代を経て、50年代後半から小林はいよいよプロの作/編曲家として頭角を現していったのだった。

 「最初は、服部先生や兄弟子が書いた曲の編曲から始め、やがてNHKなど放送局の音楽番組の編曲を任されるようになった。僕は昔からの人脈もあって一流のジャズマンたちをたくさん知ってたから、彼らを積極的に起用した。スタジオの録音仕事でジャズマンを使いだしたのも、たぶん僕が一番早かったと思う」

 そして60年代初頭からは軸足を作曲に移す。

「編曲ばかりやってたらダメだと思って。簡単に言えば、編曲は左脳、つまり論理脳で、作曲は右脳、つまり本能。編曲ばかりやってると右脳が劣化しちゃう。編曲が上手くなればなるほど作曲が下手になる。それに気づいて止めたんです。その後も自分の曲は自分で編曲してきたけど、頭を切り替えなくちゃいけない。作曲と編曲の両方を上手くやるためには、二重人格的になる必要があるんです」

 「作曲は右脳」を信条とするだけあって、小林の曲作りは一貫して一筆書きである。

 「僕の場合、作る時間よりも、今作っていいのかどうかを見定めるのに時間がかかる。今だったらいいメロディが湧いてくるな、という瞬間がある。そういう時に、一気に書く。30分とか1時間で。時間をかけて考えながら作ったものは絶対ダメなんです。最初から全体像をつかまないと、いい音楽にはならない。とにかく一番大事なのは、作ろうとしない、ということ。作ったものはダメ。誤解を招く表現だけど。作らなくても自然に湧いてくる音楽、それが湧くまで待たなくちゃいけない。あと、僕の場合、夢の中で曲ができちゃうこともあるし。朝目が覚めて、シメシメとそれを録音現場に持って行ったら褒められた…そんなことが3回ぐらいあった。今日はノッてますねえ、とか言われて。60~70年代にはそんな調子で1日に3本も4本もCM曲を録音してたんだから、いいかげんなもんですよ(笑)」

 そうやってできたのが、今なお人々に口ずさまれるサントリーや大関や日立などの歴史的CM曲だったわけである。

「実は、サントリーがまだ寿屋時代に僕も入社試験を受けて落ちたんです。だから、オールドの例のCM曲が評判になった時、“俺を入れてれば、こんな曲タダだったのに”と担当者に言ったの(笑)」

 サントリーが小林を採用していたら、当時寿屋の宣伝部員だった開高健とのドリーム・コンビが誕生していたのかもしれない。でもその代わり、歌謡曲やアニメ主題歌など数々の名曲も生まれなかっただろうし、あのイガグリ頭の貫太郎もいなかったはずである。サントリーには感謝すべきだろう。

 


小林亜星(Asei Kobayashi)
作詞・作曲・編曲家。1932(昭和7)年東京生まれ。昭和30年慶応義塾大学経済学部卒業。作曲を服部正氏に師事。61年からCMソングのヒットを次々と放つ一方、ドラマ音楽、歌謡曲、アニメ音楽などでも活躍。72年には「ピンポンパン体操」が大ヒットする。74年に巨体を買われて、向田邦子作のTVドラマ「寺内貫太郎一家」に主演、大好評を得る。以来、作詞・作曲、タレントの両面で活躍する。クラシックからジャズ、ロック、演歌まで、小林亜星ならではの音楽活動を続ける。

 


寄稿者プロフィール
松山晋也(Shinya Matsuyama)

1958年鹿児島市生まれ。音楽評論家。音楽専門誌や新聞などで執筆。著書に「ピエール・バルーとサラヴァの時代」(青土社)、「めかくしプレイ:Blind Jukebox」(ミュージック・マガジン)、編著「プログレのパースペクティヴ」(同)、その他ガイドブックなど多数。残りの人生は昭和大衆音楽の研究に捧げたい。

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