COLUMN

〈ブレードランナーLIVE ファイナル・カット版〉 電気楽器の神・ヴァンゲリスの御業が顕現する

〈ブレードランナーLIVE ファイナル・カット版〉 電気楽器の神・ヴァンゲリスの御業が顕現する

“電気楽器の神”ヴァンゲリスの御業が『ブレードランナーLIVE』で顕現する

 1982年の初公開時より、あらゆるアーティスト、ミュージシャン、クリエイターに絶大な影響を与え続けてきたリドリー・スコット監督の名作『ブレードランナー』。そのファイナル・カット版をシネマ・コンサート形式で全編生演奏するという計画を最初に知った時、いくら何でもムチャすぎると思った。巨匠ヴァンゲリスが手掛けたサントラは、映画音楽という枠を越え、シンセサイザー音楽という枠すら越え、すでにそれ自体がひとつの“アート”として完成している。仮に本人が当時の演奏機材を引っ張り出してサントラを再演したとしても、あの荘厳な響きと神々しいまでのきらびやかさ、絶望的な闇とポップスぎりぎりの感傷をないまぜにしたサウンドを再現するのは容易ではない。ましてや、生楽器のオーケストラ演奏など、もってのほかだ。公開当時リリースされたニュー・アメリカン・オーケストラの安っぽいカヴァー録音の悪夢から目覚めるまで――つまりヴァンゲリスが公式サントラをリリースするまで――筆者を含む当時からの熱心なファンが何年も要した、忌々しい記憶が甦ってくる。

 しかしながら2019年11月、つまり本編の時代設定に追いついた現在、レプリカントこそ実用化されていないが、音楽関係のテクノロジーに関しては、少なくとも初公開当時よりは格段に進歩している。レプリカントと人間の区別がつかなく程度にはヴォーカロイドの精度も上がっているし、生音とサンプル音源の隔たりは、1980年代とは比べ物にならないほど小さくなっている。だとしたら、ヴァンゲリスのサウンドの完全再現も決して“夢物語”ではないはずだ。

 もしも『ブレードランナー』の生演奏が本当に可能だというのなら、ぜひともその現場をこの目と耳で確かめてみたい――。そこで2019年10月24日、すなわち『ブレードランナーLIVE』世界初演の前日、ロンドン某所のスタジオで行われたリハーサルを、特別に見学させていただくことにした。

 冷たい土砂降りの中、タクシーでスタジオに向かうと、黒縁の眼鏡をかけた長身の若者が「いやあ、まさにブレードランナー日和ですね!」と出迎えてくれた。今回のプロジェクトのプロデューサーのひとりで、『アマデウスLIVE』なども手掛けてきたジャック・ステュークスだ。「約1年前から準備を始めた『ブレードランナーLIVE』は、これまでにないほど挑戦的な試み。2007年、リドリー・スコット監督とミュージック・スーパーヴァイザーが効果音と音楽に微調整を加えてファイナル・カット版を作り上げましたが、我々はそのファイナル・カット版の微調整を、限りなくオリジナルに忠実に、しかも生で再現していきます。映画会社から正式に許諾を得てオリジナルの音素材を借り、まずハリウッドのオーケストレーターに“耳起こし”をしてもらい、1音符たりとも漏らさずにすべて楽譜化しました。ヴァンゲリス自身が何台ものシンセを駆使して弾いていたパートはもちろんのこと、スコアの中で重要な位置を役割を果たしているヴォーカル・パートや生楽器のパートも含めてね」。

Blade Runner:The Final Cut ©2007 Warner Bros. Entertainmennt cI. All rights reserved.

 スタジオに一歩足を踏み入れると、シンセ奏者3人、エレクトリック・ストリング・カルテット(ヴァイオリン×2、ヴィオラ、チェロ)のメンバー4人、テナーサックス/フルートを担当する木管奏者、エレキ/アコースティック双方を弾くベース奏者、バスドラムや銅鑼などさまざまなパーカッションを担当する打楽器奏者2人の計11名が、一心不乱に自分のパートを練習していた。シンセ奏者の1人で、ステュークスと共に今回のプロデューサーを務めるジャック・オライリーが、次のように説明してくれた。「実は、これまでも『ブレードランナー』の音楽を生で再現する試みは何度かあったんです。数年前には、ヘリテージ・オーケストラという団体が何度かコンサートを開催しています。しかし、今回の我々ほど、音楽がヴァンゲリスのオリジナルに忠実な形で演奏されたことはありません。そもそも我々は、映画全編とシンクロしながら演奏しますから、テンポはオリジナルと全く同じですし」。よく見ると、すべての奏者の席には譜面台に加え、本編の映像とタイミングを確認できるモニターが設置されている。ここまで準備すれば、演奏と映像はズレようがない、というわけだ。

 リハーサルが始まり、ロサンゼルス上空をスピナー(飛行車)が飛び交う有名なオープニングシーン(公式サントラ盤では《メインタイトル》)の演奏を間近で聴いた時、なぜ今回の『ブレードランナーLIVE』がシンセだけでなく、わざわざエレクリック・ストリング・カルテットを用いるのか、その理由がたちどころに理解できた。サントラを聴き直してみるとわかるが、ヴァンゲリスのオリジナルではストリングスの厚みを模倣したアナログ・シンセの和音が、いわば隠し味のように用いられている。現代のデジタル・シンセでこれを再現できなくもないが、そうするとアナログ・シンセ特有の温もりが消えてしまい、安っぽく聴こえてしまう可能性がある。そこで今回は、敢えて4人の弦楽器奏者に電気楽器を弾かせることで、音のアナログ感とハーモニーの重厚な厚みを表現しようというのだ。

 それだけではない。4人の奏者の弦の動き(ボウイング)が見えることで、ヴァンゲリスの音楽が可視化されるという“オマケ”がつくとは、正直予想もしていなかった。サントラを聴くだけでは、どこまで音楽でどこまで効果音なのかわからなかった『ブレードランナー』のスコアの仕組みが、今回初めて理解できたような気がした。

Blade Runner:The Final Cut ©2007 Warner Bros. Entertainmennt cI. All rights reserved.

 リハーサル中、ふとプロデューサーのステュークスに目をやると、右耳と左耳にそれぞれ別のラインが繋がったイヤフォンを装着しながら、11人のパートがすべて書き込まれた総譜を熱心に見つめていた。つまり、片耳でファイナル・カット版の本編音声を聴き、もう片方の耳でリハーサルの演奏音を聴きながら、ヴァンゲリスのオリジナルとズレや違いが生じていないか、リアルタイムで演奏をチェックしているのである! そこまでオリジナルの正確な再現にこだわる、彼らの熱意と執念に感服した。

 雨が上がった翌10月25日、ロイヤル・アルバート・ホールでの世界初演。「ロサンゼルス、2019年11月」のタイトルがスクリーンに映し出され、バスドラムと銅鑼の重低音が会場全体に鳴り響いた瞬間、ロック・コンサートもかくやの爆音による音の大伽藍が、5000人の観客の耳を虜にした。単なるサントラの再現でなく、今まさに生命を吹き込まれた音楽として鳴り響く、ヴァンゲリスのスコア。スピナーのように、どこまでも高く飛翔するシンセ・サウンド。異国的かつ無時代的なディストピアの荒廃をいっそう際立たせる、中近東風の妖しいヴォーカル。黒ミサのように邪悪に鳴り響く、タイレル博士殺害シーンのコーラスサウンド。どこまでもクールに情熱を歌い上げる《愛のテーマ》のテナーサックス。そして、会場全体がブルブル振動するほどの重低音で演奏される、有名な《エンドタイトル》――。1982年日本公開初日に劇場で見た初公開版から、今年秋に上映されたIMAX版に至るまで、筆者が実際に見てきたどんな上映でも実現したことのない、ヴァンゲリスという“電気楽器の神”の御業の顕現が『ブレードランナーLIVE』にはあった。故ルトガー・ハウアーが演じたレプリカント、ロイ・バッティの有名なセリフを借りれば、「お前たち人間が信じられないものを俺は見てきた」のだ。

 


LIVE INFORMATION

ブレードランナーLIVE ファイナル・カット版
○2020/4/3(金)18:15開場/19:00開演
○2020/4/4(土)13:15開場/14:00開演
【会場】Bunkamuraオーチャードホール
avex.jp/classics/braderunner-live2020/

 


映画「ブレードランナー ファイナル・カット」(2007年作品)
監督:リドリー・スコット
脚本:ハンプトン・ファンチャー/デヴィッド・ピープルズ
原作:フィリップ・K・ディック『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』
音楽:ヴァンゲリス
主演:ハリソン・フォード/ルトガー・ハウアー/ショーン・ヤング/エドワード・ジェームズ・オルモス

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