Blade Runner: The Final Cut
©2007 Warner Bros. Entertainmennt cI. All rights reserved.

〈シンセサイザーの神〉ヴァンゲリスが「ブレードランナーLIVE」で甦る

 激動の年となった2022年、多くの映画ファンと音楽ファンを悲しませる出来事があった。「2001年宇宙の旅」「未知との遭遇」で知られる特撮の神、ダグラス・トランブルの逝去と、「炎のランナー」「南極物語」などの映画音楽で知られるシンセサイザーの神、ヴァンゲリスの逝去である。ともに79歳でこの世を去ったふたりの神が存在しなければ、おそらく映画と音楽の歴史は現在と異なる形で発展を遂げていただろう。

 65ミリフィルムによるシャープな合成映像を駆使してリアリスティックな特撮を追求し続けたトランブルと、霊感の赴くままにメロディーを生み出しながらシンセサイザー音楽を芸術の領域に引き上げたヴァンゲリスは、ある意味で正反対の性格を持つアーティストだったと言えるかもしれない。だが、このふたりが関わることで、単なるSFがSFにとどまらず、フィルム・ノワールがフィルム・ノワールを超越した唯一無二の作品が生まれることになった。2022年に公開40周年を迎えたリドリー・スコット監督、ハリソン・フォード主演の「ブレードランナー」である。

 2019年10月25日ロンドンで初演された「ブレードランナーLIVE」は、スコット監督が2007年に完成させたファイナル・カット版を、トランブルの特撮にふさわしい大スクリーンで全編上映しながら、この映画のためにヴァンゲリスが作曲・録音したスコアを、映像と完璧にシンクロしながらライヴ演奏するコンサートである。もちろん、音楽はオーケストラやバンドの安っぽいアレンジで演奏するのではない。ヴァンゲリスが何台ものシンセを駆使して生み出した幻想的な音色と重厚なハーモニーを、合計11名のアンサンブル――シンセサイザー×3、エレクトリック・ストリング・カルテット、テナーサックス/フルート、ベース(エレキ&アコースティック)、パーカッション×2――で忠実に再現していくのである。僕は幸いにも、その世界初演とリハーサルに立ち会うことが出来たが、そこで実際に「ブレードランナーLIVE」を体験してみて、これまで以上にヴァンゲリスの見事な音楽作りとスコアの偉大さを理解出来るようになった。

 そもそも「ブレードランナー」の音楽は、サントラ盤を聴いただけではすべてを把握できない。どういうことか、簡単に説明する。

 ヴァンゲリスが「ブレードランナー」の名を冠したサントラ盤をリリースしたのは、1982年の初公開から実に12年が経過した1994年、すなわち「ディレクターズカット/ブレードランナー最終版」公開から2年後のことだが、そのアルバムには音楽だけを収録した通常のサントラ盤と異なり、本編のセリフや効果音を音楽に重ねたトラックが少なからず含まれていた。映画の世界観をアルバムという形で表現したいというヴァンゲリスの意図はある程度理解できるが、どうしても理解出来なかったのは、あるシーンで流れる楽曲のトラックに、そのシーンとは別のセリフや効果音が重ねられていた点である。映画音楽を愛するリスナーなら、音楽を聴くだけで、ある程度は自分の頭の中で音楽以外の要素――すなわち映像やセリフや効果音など――を補いながら映画の世界観を再構築することが可能だが、どうやらヴァンゲリスはそうしたリスナーの補完能力を信用していなかったフシがある。

 その後、2007年に公開された「ブレードランナー ファイナル・カット」(これが真の意味でのディレクターズ・カット版に当たる)と連動して25周年記念エディションと銘打った3枚組サントラがリリースされ、1994年のサントラ盤の未収録曲がDISC 2にまとめられた。しかしながら、本編冒頭の説明タイトルで流れる物哀しいシンセや、主人公デッカードの夢に現れるユニコーンの音楽――実のところ「南極物語」のコーラスを転用している――など、いくつかの重要な楽曲は3枚組サントラにも未収録のままだった。

 したがって、CDや配信音源に頼っている限り、「ブレードランナー」の音楽を完全かつ独立した形で鑑賞するのは、ほぼ不可能だと言っていい。わかりやすく言うと、我々リスナーはサントラの音楽を純粋に聴きたいのだが、そうした希望を真っ向から否定するように、音楽を映画本編から切り離してはいけないというヴァンゲリス本人のアーティスティックな意思が厳然と立ちはだかっている。まるで、ルトガー・ハウアー演じるレプリカントのロイが延命のためにあらゆる方策を提案しても、創造主のタイレル社長にすべて否定されてしまうような、映画さながらの状況である。