ブラジルのジョゼ・パジーリャ監督がリブートした今回の『ロボコップ』。ほぼ全編をハンディ撮影で押し通し、カワサキZ1000をベースにしたバイクの見せ場を盛り込むなど、ハリウッド・メジャー・スタジオという巨大組織の制約の中で創意工夫を重ね、よく頑張っていた。パジーリャがブラジル時代からコンビを組む音楽のペドロ・ブロンフマンも、ハリウッドの標準的なアクションスコアを書き上げたように見せかけて、細部に趣向を凝らしている。
言うまでもなく、ロボコップは全身の大半が金属で出来ているから、音楽には金属系の打楽器が多用されている。そうしたメタリックかつ無機的な質感が、ロボコップの“皮膚感覚”を表現しているわけだ。その金属的な音響の洪水の中で、歌にもならない旋律の断片を弾くピアノが聴こえてくる。ロボコップ化した主人公マーフィーと息子デヴィッドが再会する場面で流れる、父と子の情愛を表現した音楽だ。木の温もりを微かに感じさせる美しいピアノの響きは、マーフィーに僅かに残された“人間”の部分を象徴している。と同時に、その部分の音楽は、ヴァンゲリス『ブレードランナー』のレプリカントの音楽を観客に強く連想させる。
おそらく、ブロンフマンとパジーリャ監督は、音楽という側面からレプリカントとロボコップの類似性を表現したのではあるまいか。いや、これは明らかに確信犯的な音楽演出と見るべきだろう。なぜなら、ブロンフマンと監督は『オズの魔法使い』のブリキ男のナンバー《もしもハートがあったなら》を再録音し、それを本編に使用することで「ブリキ男→レプリカント→ロボコップ」と連なる人造(改造)人間たちの系譜を手繰り寄せているからである。彼らこそ“魂”を求めてやまない“真人間”だと言わんばかりに。ハリウッド・メジャーという“オムニ社的巨大組織”の中で“ロボット”のような手先にならず、映画人としての“魂”を保ち続けたブロンフマンとパジーリャ監督の面目躍如というべきだろう。おそらく権利の問題だろうが、その再録音版《もしもハートがあったなら》が本盤に収録されなかったのが悔やまれる。
CINEMA INFORMATION
『ロボコップ』
監督:ジョゼ・パジャーリャ 出演:ジョエル・キナマン/ゲイリー・オールドマン/マイケル・キートン/アビー・コーニッシュ他
配給:ソニー・ピクチャーズ(2014年 アメリカ)
www.robocop-movie.jp/