コラム

和田誠 追悼――濱田髙志が綴る多才なイラストレーターとの交歓の思い出

Exotic Grammar Vol.66-1

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2013年1月、三木鶏郎企画研究所再訪時、和田さん作画の鶏郎さんの肖像画と共に。
写真提供:三木鶏郎企画研究所

 和田さんにとって、「イラストレーション」、「映画/アニメーション」と並んで大事な要素が「音楽」だった。何しろ自ら作曲を手がけた作品集もあるほどだ。和田さんには、音楽にまつわる逸話を集めた著書や共著が複数あるが、なかでも和田さんならではのユニークな視点で書かれた『いつか聴いた歌』(77年)は、スタンダードソングに焦点をあてた名著である。2013年、私がその増補改訂版の出版と関連CDの選曲・監修を提案すると、和田さんは二つ返事で引き受けて下さり、それは佐山雅弘さん、島健・島田歌穂ご夫妻、阿川佐和子さんらを巻き込んで、トークライヴやラジオ番組の企画へと発展した。和田さんいわく『いつか聴いた歌』は、ライフワークのひとつだったそうだ。CDは全5集のうち3集が出たところで中絶したが、残る2集分についても、和田さんは選曲に着手していた。いつか形に出来ればと思う。

 私が和田さんと最後に会ったのは、昨年3月15日。それを遡ること数週間前、突然、映画評論家の山田宏一さんに会いたいと連絡を受け、再会の場をセッティングしたのだ。私はお二人と交流があったため、それぞれの近況を知らせる伝書鳩的な役回りだった。当日、事務所スタッフと共に現れた和田さんは、山田さんの姿を認めるなり、どこか照れ臭そうに、「やあ、久しぶり」と顔をほころばせ、対する山田さんも上機嫌で和田さんを席へと促した。3時間ほど昔話や映画談義に花を咲かせたあと、別れ際に和田さんが手を差し出し、山田さんと固い握手を交わした姿が忘れられない。和田さんを見送りながら、山田さんが、「長い付き合いだけど、和田さんと握手したのはこれが初めてですよ」と呟いた。その時、貴重な瞬間に立ち会っていると感じながらも、私は、まさかそれが和田さんとの最後の時間になるとは思いもしなかった。

 


和田誠(Makoto Wada) 【1936 – 2019】
1936年生まれ。イラストレーター、グラフィックデザイナー、映画監督。59年多摩美術大学卒業、ライトパブリシティに入社。68年からフリー。77年より「週刊文春」の表紙を担当して現在に至る。74年、講談社出版文化賞ブックデザイン部門受賞。84年、映画『麻雀放浪記』を初監督。現在まで4本の監督作品がある。89年ブルーリボン賞、94年菊池寛賞、97年毎日デザイン賞、15年日本漫画家協会賞特別賞ほか、受賞多数。出版した書籍は200冊を超える。10月7日、肺炎のため死去。享年83。

 


寄稿者プロフィール
濱田髙志(Takayuki Hamada)

1968年生まれ。アンソロジスト。ミシェル・ルグラン、ロジャー・ニコルスをはじめとする作曲家らと親交が深く、とりわけ今年亡くなったミシェル・ルグランとは、公私に渡る交流があった。国内外で企画・監修したCDは530タイトルを数え、ほかに、画集の企画・編集、テレビ、ラジオ番組の企画・監修・構成・出演も。ウェブサイト「週刊てりとりぃ」編集人も務めている。
http://weeklyterritory.blogspot.com(毎週木曜日深夜更新)

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