(左から)横沢俊一郎、工藤将也
 

2018年から2019年にかけて、工藤将也、横沢俊一郎というほぼ同時期に登場したシンガー・ソングライターの名前をときどき耳にしていた。工藤将也の作品は『男の子の嵐』、横沢俊一郎は『ハイジ』。作品の発信源はココナッツディスク吉祥寺。その出現には、どこかの誰かのつながりで出てきた、というより、突然そこにいたという感じがした。宅録をベースにしているとはいえ音楽性はそれぞれに違うが、2人とも〈ナード〉というよりもっとゴツゴツとしていて、だけどポップであることへの意識があり、妙な色気もある。でも、それが来るべき時代を象徴した未来のサウンドなのかといえば、そうも思えない。いわば〈宅録版の戦後無頼派〉みたいな感じ。

横沢俊一郎はアメリカ・ツアーを敢行していたり、SNSに現れる言葉を気にして見ていたが、工藤将也が新作『森の向う側』を準備していたとは知らなかった。今回実現した対談を行うまで、精神的にも同期のように見えた工藤と横沢が実は10歳以上違うということも知らなかった。工藤将也の妙に大人びたような、それでいて自分を曲げることをよしとしない物言いにもしびれた。こんなふうに考えて音楽を作っている若者(20歳)だったんだ。僕は何も知らなかった。たぶん、この対談を読む人たちの多くもそうだろう。

工藤がこの日、初インタビューとのことで、気の許せる飲み会の場での取材をセットしたのに、2人の対話は自分の才能や音楽とガチで向かい合うものだった。そこに僕は、2020年をまともに音楽で生きるのに必要な意地と覚悟のようなものを感じる。工藤将也と横沢俊一郎。この2人の言葉をぜひ知ってほしい。

工藤将也 森の向う側 NEWFOLK/Mastard(2019)

 

互いにライヴァル視していた2人

――工藤さんと横沢さんって、そんなに年が離れてるイメージではなかったんですけど、実は横沢さんが10歳くらい上なんですね。世代が違う2人が知り合ったきっかけは何だったんですか?

工藤将也「(横沢は)友達の友達の友達という感じですかね」

横沢俊一郎「いや、そこまで遠くないでしょ(笑)?」

工藤「僕の友達が横沢さんを紹介してくれたんですけど、その間に2人噛んでるんです。その人づてで横沢さんに会えることになった、という感じでした」

横沢「その友達が、僕が最初のデモCD(『横沢デモ』、2017年3月)を出す前に、本当に個人的に作ったアルバムのジャケを描いてくれた人だったんです。その人から〈横沢さんのことをすごいライヴァル視してるやつがいる〉って聞いていて、それが工藤さんでした。

実は、その時点で僕はココナッツディスク吉祥寺で工藤さんの音源(『男の子の嵐』、2018年12月)は聴いてたし、かなり若いということも知ってたので、〈そんな若い人が自分をライヴァル視するなんて? 会いたい!〉と思ってました。そしたら工藤さんも僕に会いたいと言ってたらしくて、その友達と大久保にチキンを食いに行く際に来てもらったんです。そのときから〈隙あらば何か言ってやる〉みたいな空気をびんびんに出してましたね」

工藤「〈会うんだったら、ちゃんと言いたい〉と思ってたんです」

――そのライヴァル視は、横沢さんのファースト・アルバム『ハイジ』(2018年6月)を聴いたのがきっかけ?

工藤「そうですね。ライヴァル視というか、最初はあんまり横沢さんの音源をちゃんと聴いてもいなかったんです。だけど、ココナッツディスクのブログとかで同時に紹介されたこともあり、〈自分のほうがいいんじゃないかな〉と思ってました(笑)」

横沢「同じように僕もそう思ってました(笑)」

横沢俊一郎の2018年作『ハイジ』収録曲“ディッセンバーガール”
 

工藤「会ったときもそういう話をしましたよね」

横沢「僕は工藤さんとは年齢は離れてますけど、そもそも音楽を始めたのはめちゃくちゃ遅くて26歳なんですよ。だから、音楽と向き合ったタイミングとそこで何を考えたてきたのかというところは(工藤とは)そこまで差はないのかな」

 

僕らは〈才能以降の時代〉にいる

――工藤さんは自分の音楽といえるものはいつ頃から始めたんですか?

工藤「初めて曲を作ったのは中学3年ですかね。でも、そんなのは真似っこというか誰かの模倣でしたね。まあ、いまでもすべて模倣なのかなあ……。中2くらいで、フィッシュマンズとかゆらゆら帝国とかサニーデイ・サービスとかいろんなすごい音楽をいっぺんに聴いたんですよ。そこから自分でやるにあたってはオリジナリティーとかは別に考えてなくて、〈自分にもできるんじゃないかな〉という気持ちで始めました。

すごい人たちの音楽とはちょっと違って、〈これは自分にもできるかな〉と思ったのがandymoriとか、踊ってばかりの国とか。andymoriとかは距離感が僕らに近かったんですよね。そうやって出来ていったのがたまたまこういう曲だったという感じです。ファースト・アルバムの『男の子の嵐』も売ろうとかは思ってなくて、出来ちゃったときに〈レコード屋に送ってみるか〉くらいのノリでCD-Rを送ったらすごい気に入ってくれて、そこからいまのレーベル(NEWFOLK)の須藤(朋寿)さんも紹介してもらって、こうして今回『森の向う側』を作ることになって……全部が思いも寄らない感じでした」

須藤朋寿「紹介されたというか、『男の子の嵐』がココナッツに届いたときにたまたま僕もそこにいたんですよ。それで〈こんなの来てますけど〉みたいな感じで店長の矢島さんと一緒に聴いて、〈この人に連絡したい〉となってメールしたんです」

工藤将也の2018年作『男の子の嵐』
 

――すごい展開。それだけ『男の子の嵐』の衝撃が大きかったということですよね。もともとギターやピアノは弾けたんですか?

工藤「弾けないです。イチからやりました。家に親のアコギが1本あったんですよ。音も鳴んないようなやつなんですけど、それを借りてやってました」

――横沢さんは工藤さんの音源を初めて聴いたとき、どう思いました?

横沢「僕は音楽を始めたのが遅いから、基本的に早熟っぽい人を見るとムカついちゃうんですよ。〈恵まれてるんだろうな〉とか(笑)。ていうか、僕が20歳のときって、本当に何も知らない感じだったんですけど、工藤さんはそのくらいの年頃でこれだけやれるってことはたぶんいろいろあった人なんだろうなとは思いましたね。自分を表現するってことを自分で許していることに羨ましさをすごく感じました。自分で自分に許しを出すまで、僕は結構時間がかかったタイプなので」

工藤「横沢さんは結構そこがシビアで、僕はガバガバなんです(笑)。僕はそれが通用するのが音楽のいいところだと思って始めたので。内容が悪くても、模倣でも、音楽は作れる。基本は何やったってOKじゃないですか。音楽はそれがラクだったんですよね」

――僕は個人的には横沢さんの言うことのほうがしっくりする世代かもしれないです。才能の自己評価をめぐるウジウジとしたアンビバレンツみたいな時間って若い時期につきものだったりするから。でも、工藤さんの言ってる、そこで逡巡してる場合じゃないってストレートな感覚も理解できる。

工藤「僕らは〈才能以降の時代〉にいると思ってるんです。天才ってだけじゃ売れないんですよ。才能がないって気づいたやつほど努力してどんどんよくなっていくし、自分もそういうタイプだと思う」

横沢「そういう考えを持っている人は、基本的に世に出てくるのが早いんですよ。余計な雑味がない分、人に伝わりやすいし、周りも手伝いやすい。だけど、僕はそういう人からは相手にもされてないと思ってた。だからこそ工藤さんがこういう対談に呼んでくれたり、ツーマンをやってくれるのが本当にうれしくて。ライヴァル視してくれてるという事実が僕にとってすごく貴重なことなので」

工藤「歳は違うけど、僕としては横沢さんは同期に近い感覚なんです。最初は歳も知らなかったから21とか22歳で同じくらいだろうと思ってたし。宅録出発なところもそうですけど、結構わかるところがあるんですよ。新しい『Yokosawaデモ2』(2019年6月)も聴きましたけど、やっぱりいいなと思いましたね」

――工藤さんが自分と近いかもと感じた存在は、横沢さんが初めてだったんですか? 同世代ではなく?

工藤「そうですね。基本的にはいなかったですね。僕自身が、年上の人に対して結構同年代くらいの感じで話しちゃう失礼な人間なんです。それを許してくれる人としかやっていけないですね。いまのバンド・メンバーも全員年上なんですけど、僕は言いたいことを言っちゃうから。でも思うことを言ったほうがいちばん失礼じゃないと思うんですけどね」

――それって普段の生活でも一貫してることなんですか?

工藤「音楽の場だとそれが許されるんですよ。芸術は自分に従えばいいから。でも社会に出て職場とかでそれをやっちゃうと……。上司に〈革命だ!〉とかあれこれ言っちゃって後悔したこともあります(笑)」

横沢「日常でもそうやっちゃうんだ。すごいね」

工藤「できるかぎり棲み分けはしようと思ってますけど」