ジェレミー・カニングハムのニュー・アルバム『The Weather Up There』が、ひっそりと話題になっている。リーダー作としては、カルテットとして発表した『re: dawn (from far)』(2016年)に続く2作目だ。

米シカゴのドラマー/作曲家/即興演奏家であるカニングハムは、プロフィールによればシンシナティ出身で、2009年にシカゴに越してきた。共演者にはレジェンドのヴォン・フリーマンからトータスのギタリストであるジェフ・パーカー、トランぺッターのマーキス・ヒルまで、同地のさまざまな音楽家が挙げられている。

2010年代以降、音楽都市シカゴは常に注目を集めてきたと言える。チャンス・ザ・ラッパーの台頭もあり、ラッパー、シンガー、プレイヤー、プロデューサーたちの繋がりはより活性化し、緩やかで有機的なコミュニティーとなった。一方、過激化する南部のドリル・シーンは、コインの表と裏との関係にあると言えそうだ(ドリルはイギリスに飛び火した後、独自に発展し、現在NYのブルックリンに逆輸入されている)。

もちろん、ジャズ・シーンも。特に、注目すべき新進レーベルであるインターナショナル・アンセム(International Anthem)がリリースするものはいずれもすばらしく、ジェフ・パーカーの『Suite For Max Brown』、エンジェル・バット・ダウィッドの『The Oracle』、マカヤ・マクレイヴンの『Universal Beings』など、キー・パーソンたちによる重要作品をいくつも送り出している。カニングハムが所属するバンド、レザヴォア(Resavoir)が2019年に発表したセルフ・タイトル作も、そのひとつに数えられるだろう。

さらにもう一点、重要なポイントがある。それは、彼がドラマーである、ということ。

先日刊行されたばかりの「Jazz The New Chapter 6」では、〈DRUMMER-COMPOSERS〉という特集が組まれている。非メロディー楽器であるドラムをメインに操り、作曲もする音楽家が、いかに現在のジャズを更新しているか――同特集は〈コンポーズするドラマーたち〉にスポットライトを当て、その状況を詳しく紹介している。そうした〈コンポーズするドラマー〉として、カニングハムも捉えることができるだろう。

それゆえ、〈シカゴのドラマー〉というだけで現在の音楽シーンの状況においては注目すべき理由のひとつになる、と言っていい。

さて。この『The Weather Up There』には、先述のジェフ・パーカー(ギター)とマカヤ・マクレイヴン(ドラムス)はもちろん、ジョシュ・ジョンソン(アルト・サックス/バス・クラリネット)、マット・ウレリー(ベース)、そして2017年にエイミー・マンとの仕事でグラミー賞を受賞した辣腕のポール・ブライアン(ベース)がメインの演奏者として参加している。スペシャル・ゲストにクレジットされているのは、ジェイミー・ブランチ(トランペット)、ベン・ラマー・ゲイ(ヴォーカル)、ダスティン・ローレンツィ(テナー・サックス)、トミカ・リード(チェロ)。プロデュースはパーカーとブライアンだ。

彼/彼女らのうち、LAのジョンソンとブライアン以外は全員がシカゴの音楽家のようだ(ただし、ジョンソンはシカゴ出身)。もちろん拠点としている土地で制作をするのが普通とはいえ、本作の〈シカゴ性〉は強く、参加ミュージシャンから枝葉を伸ばしていくだけでも、シカゴの音楽地図を描けてしまいそう。

そんなシカゴ性を特に感じさせるのは、〈Chicago Drum Choir〉としてカニングハムとマクレイヴン、マイケル・パトリック・エイヴリー、マイク・リードの4人が演奏している“All I Know”と“Elegy”の2曲で、複数のドラムやパーカッションがまるで雨垂れのように、静かな嵐のように、押し寄せる波のように鳴り響く。いずれもスポークン・ワードを聴かせる楽曲だが、シカゴのドラマー、そしてコンポーズするドラマーとしてのカニングハムの個性が強く出ている2曲だろう。

スポークン・ワードは、このアルバムにおける重要なエレメントになっている。なぜなら本作は、カニングハムがうしなった兄弟のアンドリューをテーマにしたものだからだ。アンドリューは12年前、自宅に侵入してきた強盗によって殺されたのだという。『The Weather Up There』はアンドリューの死、彼をこの世から消し去った残忍な暴力、そして残された人々の思いに捧げられているのだ(そのあたりのことは、このドキュメンタリーでも語られている)。

だからこそ、さまざまな人々の生きた言葉が、このアルバムにはそのまま収められている。1曲目の“Sleep”では、カニングハムのおばが夢について語る。夢で見た人影は、アンドリューが別れを告げに来たのではなかったのだろうか、と。バックには柔らかいシンセサイザーのシーケンスと温かいサックスの折り重なりが流れており、おばの声がフェイドアウトするとともにドラムのビートが入ってくることで、景色が変わっていく。

パーカーらしいギター・ソロを曲の中心に据えた“1985”、アフロ・スピリチュアルな質感をの“The Breaks”、ボサノヴァのビートを複雑化させたような“Hike”など、どの曲もドラマーらしい個性と、リズムの冒険や多彩さを聴かせる。作品を通して音の質感やムードは温かく柔らかで、人間味や慈しみをたたえているように感じる。そしてジャズというよりも、どこか先輩であるトータスからの影響を感じさせるポスト・ロック的なサウンドであることもまた確かで、そのあたりも興味深い。

本作のみならず、母についてのアルバムであるジェフ・パーカーの『Suite For Max Brown』、ルーツである日本をテーマにしたマーク・ド・クライヴ・ロウの『Heritage』、姉に捧げたブリタニー・ハワードの『Jaime』など、このところ個人史をテーマにした作品は多い。これもまた、ジャズを中心とした音楽シーンの動向としておもしろく思う。

ある意味では〈祈り〉のような音楽作品の『The Weather Up There』。テーマの面でも、それを音楽として表現している面でも、掛け値なしに素晴らしいアルバムだ。