音楽の聴取環境と流通方法がストリーミング・サーヴィス全盛となるその直前、(フリーで聴ける)ミックステープ世代の末っ子として、その時代の申し子として現れたのがチャンス・ザ・ラッパーだった。2019年7月26日。そんな彼からついに〈アルバム〉が届けられた。タイトルは『The Big Day』。1曲目の“All Day Long”でクリスチャンとして知られるチャノことチャンス・ザ・ラッパーは、「詩編」を引用しながら〈This is, this is the day〉とラップする。

ここで一度、チャノの歩みを簡単に振り返ってみよう。彼はまず、高校の停学中に制作した『10 Day』(2012年)で注目を集めた。そして、ソウルフルでメロディアスな音楽性を開花させた傑作『Acid Rap』(2013年)で一気にその名を知らしめ、レーベルに頼らないDIYのスターとして地元のシカゴから世界へと羽ばたいていった(この2作はつい最近、ストリーミングでの配信が始まった。が、『Acid Rap』に収められたあの素晴らしい“Juice”は、サンプリングのライセンスをクリアできずに見送りとなった)。

その後はバンド、ソーシャル・エクスペリメントとしてのツアーやダニー・トランペット&ザ・ソーシャル・エクスペリメント名義でのアルバム『Surf』(2015年)、ゴスペル・ポップの名曲“Sunday Candy”によって、ラッパーとして、というよりも、アーティストとしての評価を確立する。シカゴ・シーンの旗頭として、そしてヒップホップ・カルチャーの良心として。

『Coloring Book』(2016年)ではチャート・アクションでも存在感を示し、チャノはポップ・スターへと上り詰める。そんな彼の独立独歩の歩みについては「ミュージック・マガジン」の2016年7月号で詳細に書いたことがあるので、興味がある方はぜひバックナンバーに当たっていただきたいところ。

『Coloring Book』までの3作は〈ミックステープ〉という位置づけだった。そして、次なる作品は〈アルバム〉になると彼はかねてから宣言していた。それから3年。加速化の一途をたどるポップ・ミュージック(ラップ・ミュージックは特にそうだろう)の世界では短くないインターヴァルを挟んで、ようやく〈チャンス・ザ・ラッパーのアルバム〉がリリースされた。ミックステープ世代の末っ子、ミックステープ時代の申し子の〈アルバム〉は果たしてどんな作品になったのか?

全22曲、77分強の大作『The Big Day』からは、チャノが自身の音楽性やスタイルを育んだCD時代へのノスタルジーを感じる(なんとも挑戦的なカヴァー・アートもそれと関係しているだろう)。3つのスキットを挟んで進んでいく展開や構成は、90年代や2000年代前半のヒップホップ・アルバムそのもので、例えば、彼が心から尊敬している同郷の先輩、カニエ・ウェストのファースト・アルバム『The College Dropout』(2004年)をほうふつとさせる。

音楽的にはノスタルジーと挑戦とが拮抗している。前者については、アルバムの構成と同様に90年代や2000年代のヒップホップとR&Bを思い起こさせる瞬間がたくさんある。“Get A Bag”で聴ける(カニエが得意とした)早回しのヴォーカル・サンプル。“I Got You (Always And Forever)”でのGファンク。“Hot Shower”はトラップだが、ぼわっとしたキックやベースの音、スカスカしたプロダクションは、トラップのルーツである初期のサザン・ヒップホップ風だ。その時代のスターであるジョン・レジェンドやアン・ヴォーグ、(90年代に「トイ・ストーリー」の主題歌“You've Got A Friend In Me”で再注目された)ランディ・ニューマンを呼び、2000年代のインディー・ロックのスター、デス・キャブ・フォー・キューティーまでもが参加している。

〈若かったころのことを覚えているかい?〉(“Do You Remember”)と歌われるように、『The Big Day』は93年生まれのチャノが自身の少年時代や青春時代を振り返っている作品だと感じる。しかしもちろん、ただのノスタルジーに終始しているのではない。〈The Big Day〉というタイトルが、彼が長年連れ添ったガールフレンド、カーステン・コーリーとの結婚の日を表しているように、チャノは彼の〈いま〉をラップしているし、それ以上に愛娘のケンスリーに未来を託している。

ここにはニコ・セガールやスミノ、実弟のテイラー・ベネット、ノックス・フォーチュン、シカゴ・ドリルのリル・ダークといった地元の仲間たちもいる。フランシス・アンド・ザ・ライツからジャスティン・ヴァーノン(ボン・イヴェール)、ダベイビー、メイドイントーキョー、アリ・レノックス、さらにはニッキー・ミナージュまで、現在のシーンを代表するアーティストたちもいる。彼らと共にチャノはいまの、そして未来のラップ・ミュージック/ポップ・ミュージックを作り出している。

チャンス・ザ・ラッパーはその大胆な音楽性やインディペンデントな姿勢、コンシャスなスタイルで名を上げてきた。けれども彼の最大の魅力は、あの独特な土臭さを感じさせる、なんとも魅力的な声であるはず。多くのゲストを迎えながら、チャノのパーカッシヴなラップとメロディアスなフロウはまったく埋もれずに、むしろ他の声とのせめぎあいのなかで強烈な存在感やクセの強さを放っている。これでこそ〈チャンス・ザ・ラッパーのアルバム〉だろう。『The Big Day』はチャノのラップを、その声を聴くアルバムでもある。