かつてはラベック姉妹タール&グロートホイゼンなどが話題の公演を繰り広げ、録音活動も積極的に行なっていたピアノ・デュオの世界だが、なぜか近年はそうした声を聴く機会が少なくなってきた。そんな状況下に現れたのが、デュオ・アマルである。イスラエル人のヤロン・コールベルク、パレスチナ人のビシャラ・ハロニの二人が2011年に結成した、まったく新しいデュオである。

 コールベルクはクリーヴランド国際ピアノ・コンクールやメキシコのパルナツソス国際ピアノ・コンクールで優勝あるいは上位入賞を果たすなど、ソリストとして活躍してきた実績を誇っているし、ハロニはバレンボイムマゼールらと共演してきた実力者である。だがイスラエルとパレスチナ人という、何かときな臭く、政治的にも、人種的にも、さらには宗教的にも不穏な話題が尽きない、そうした地域からの演奏家によるデュオであるということで、このコンビは何かと平和や希望もしくは融和といったものを予感させる。

 確かにアマルとはアラビア語で「希望」を意味するというし、この二人が自分たちの演奏活動を通して文化の違いを超えた何かを作り出せれば、と考えていない訳ではない。だが、事実は、二人は既に完全なる友人同士であり、何よりもまず音楽をしたいという一心からこのデュオを結成したのであり、こうした大義名分はいわば彼らの活動を支える通奏低音のようなものであるというから面白い。

 今回、デビユー盤がリリースされたが、このアルバムからは生き生きと弾み、喜びの環がふくらみ、さらに弾くことが楽しくてしょうがないといったメッセージが噴出してくるかのようである。

DUO AMAL Debut カメラータ(2013)

 ショスタコーヴィチの《コンチェルティーノ》はリズムの推進力が圧倒的だし、ストラヴィンスキーの《ペトルーシユカ》はシンフォニックな歌の余韻が大きな羽根を伸ばして、音と音楽が大輪の華を咲かせている。そしてラフマニノフの組曲第一番では、哀愁に満ちた歌の心に聴き手が慰められる、そんな世界といえようか。

 またこの二人の演奏はとにかくピアノが巧く、しかも実に楽しそうなのである。大義名分やヒストリーも大切かもしれないが、まずは耳を傾け、彼らの演奏の弾み感や歌の心、さらには興奮に浸ることをお勧めしたい。そしてこうした喜びを聴き手一人一人が感じ取ることが、アマルの灯をさらに大きくしていくことになるのではないだろうか。