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中森明菜の“少女A”からロイ-RöE-の“少女B*”へ

シンガー・ソングライター、ロイ-RöE-の新曲“少女B*”が配信リリースされる。“少女B*”とは意味深なタイトルだが、これは中森明菜の82年のヒット曲“少女A”(作詞:売野雅勇、作曲:芹澤廣明)に対するオマージュで、〈AKINAがAなら わたしは少女B〉という歌詞が、それを明確に示している。97年生まれのロイ-RöE-にとって“少女A”は自身が生まれるより15年も前の楽曲だが、シンパシーを感じるのに時代は関係ない。

ロイ-RöE-は7月からTikTokにて1日1曲、〈ロイ〉という名前にかけて全61曲のカヴァー曲を公開するという企画を行っており、その最後を飾る61曲目に選ばれたのも“少女A”だった。ロイ-RöE-はTwitterで、“少女A”について〈匿名性や少女性が心をくすぐる曲です〉と綴っている。

中森明菜の82年のシングル“少女A”

〈匿名性〉に惹かれる、というのは面白い。例えば、今人気のヨルシカやずっと真夜中でいいのに。のようなアーティストを見ると、〈匿名性〉というのはこの情報に溢れた世界において強い魅力となっているように思えるが、インターネットによる情報の波が押し寄せるずっと前から、匿名性を纏うことはひとつの魅力となりえたのだと、82年の中森明菜の“少女A”を聴くと思う。

じれったい じれったい
何歳(いくつ)に見えても 私 誰でも
じれったい じれったい
私は私よ 関係ないわ
特別じゃない どこにもいるわ
ワ・タ・シ 少女A
​(中森明菜 “少女A”)

この“少女A”は中森明菜にとって最初のヒット曲であり、彼女に〈不良〉というイメージを定着させるきっかけになった曲のようだが、当時の中森がこの曲を歌う姿を見てみると、その小悪魔的ともいうべき美貌の持ち主が、〈特別じゃない どこにもいるわ〉と、それまで伏し目がちだった眼差しをカメラに向ける瞬間に胸を射ぬかれるような思いがした。〈個性〉や〈自分らしさ〉などを声高に主張し合う群衆など〈どうでもいい〉と言わんばかりに、〈私は私よ 関係ないわ/特別じゃない どこにもいるわ〉と言い放つ中森明菜=少女A。その表情の、その立ち姿の、圧倒的な美しさよ。匿名性を纏うからこそ、その存在の輪郭はハッキリと見る者の目に焼き付く。少女の瑞々しい肉体の中に渦巻くエゴイスティックな欲望と感傷の螺旋構造には、眩暈を覚えるようだ。どんな属性も、どんな帰属意識も、どんな社会的な契約も関係ない。ただ、〈少女である〉ということだけが、そこにある生々しくも魅惑的な〈生〉と〈性〉が、獣のように獰猛な色香を放ちながら佇んでいる。

わざわざ〈AKINA〉と名前を出してまで、ロイ-RöE-がこの“少女B*”でトレースしたかったのは、“少女A”が描き得た、〈少女〉という生き物が持ち得る、世界を垂直に突き刺すような生命力溢れるエナジーだったのだろう。この2020年、混沌を極めると同時に複雑さを受け入れようとする世界だからこそ、少女の一途な垂直性は、より輝きを増すというものだ。

 

Illicit Tsuboiが共同プロデュースした“少女B*”の荒々しい美しさ

“少女B*”はサウンドもワイルドでパワフルだ。作詞作曲編曲はロイ-RöE-が手掛け、共同プロデューサーには、近年ではOfficial髭男dismや長谷川白紙なども手掛けるThe Anticipation Illicit Tsuboiを、マスタリングにはビリー・アイリッシュの『dont smile at me』『WHEN WE ALL FALL ASLEEP, WHERE DO WE GO?』を手掛けたジョン・グリーナム(John Greenham)を迎えている。

『少女B*/チャイナアドバイス』収録曲“少女B*”

まず耳を引くのはビートだ。ドラムの音作りにおいて、ロイ-RöE-は自身のTwitterで〈今回のアレンジテーマold school〉と記しているが、まさにオールドスクール・ライクな、重々しく荒々しいビートが鳴っている。そのビートを軸にしながら、早急な展開の中、挑発的なヴォーカルや歪んだギター、不穏なシンセ、さらにサックスなどが左右のチャンネルを縦横無尽に行き来しながら、立体的に襲い掛かってくる。その攻撃的なサウンドと歌詞の世界観とが相まみえることで、世界と対峙する過程で汚れることも厭わない少女の荒々しい美しさ、その力強い存在感が表現されているようだ。

 

ナボコフ「ロリータ」に獄本野ばら「下妻物語」……ロイ-RöE-が描く〈少女性〉

そもそも〈少女性〉というのは、とても普遍的なテーマである。例えば、ウラジーミル・ナボコフの原作をスタンリー・キューブリック監督が映画化した「ロリータ」(62年)などはそのテーマを描いた代表的な作品といえる。映画のなかで、周囲から〈ロリータ〉と呼ばれる少女、スー・リオン演じるドロレス・ヘイズは、笑ったり怒ったり泣いたり食べたり寝たりと、ただただ自身の欲望に実直に生きているだけなのだが、彼女が放つ無邪気なエロスに、ジェイムズ・メイソン演じる中年男性、ハンバート・ハンバートは魅惑され、取り返しがつかないまでに翻弄されていく。

この「ロリータ」以外にも、例えば「素直な悪女」(56年)のジュリエット(ブリジッド・バルドー)とか、「月曜日のユカ」(64年)のユカ(加賀まりこ)とか……〈少女性〉を描いた作品は、挙げていけばたくさん出てくるだろう。自身の感情や欲望を実直に受け入れる芯の強さによって、また、あどけなさの残る眼差しに射す母性とも憐みとも受け取れる淡い光によって、そして、その肉体の健康的かつ危険極まりない美しさによって、見るものを魅惑し翻弄しながら、〈生きる〉ということの喜びと秘密、そして絶望を見る者に突きつけてくる〈少女の系譜〉というものが、この世界にはあるのだ。

映画「ロリータ」はロイ-RöE-がフェイヴァリット映画の1本に挙げているのだが、彼女が挙げているのは97年にエイドリアン・ライン監督がリメイクしたヴァージョンのようだ。そっちは未見の僕にキューブリック版との違いはわからないのだが、ロイ-RöEにとって〈少女性〉というものが、今回の新曲“少女B*”だけに限らず表現の根幹のひとつとしてあり続けているキーワードであることは確かそうだ。

また、ロイ-RöE-は「下妻物語 ヤンキーちゃんとロリータちゃん」でも知られる作家の獄本野ばらが好きだと過去のインタビューで発言している。美麗な文体を持ち、〈乙女〉という言葉をある種の〈生き方〉として掲げ、ヴィヴィアン・ウェストウッドなどのブランド名を列挙しながら、思想を体現するファッションの存在をその作品中に落とし込んだ獄本からの影響も、その〈少女性〉への関心においては大きそうである。ロイ-RöE-の〈少女性〉に対する想いを、端的かつ象徴的に捉える発言がある。

女だから女として歌いたいと思っていて。心境的には少女から女に変わる間くらいのところで歌っていきたいんです。私は映画が好きで「ひなぎく」とか「ロリータ」とか、女性にみんなが振り回されるみたいな作品に惹かれるから、自分もそういう作品を作りたいと思って。男の気持ちとかわからんしね(笑)。(ナタリー、『ウカ*』リリース時のインタビューより)

今回の“少女B*”においては、中森明菜“少女A”という優れたオマージュ対象を見出したことによって(あくまでも詞作の面において、だが)、この発言にも見られる〈少女性〉を描きたいという彼女の作家としての志向性が、作品としてかなり明確になっている。そういう意味でも、“少女B*”は今後、ロイ-RöE-のアーティストとしての道のりを語っていくうえで重要なポイントに位置する曲になるだろう。