「羅生門」を生んだ異能の制作集団〈黒澤組〉
本木荘二郎による企画シナリオの冒頭に、「人間の心の底のエゴイズムは醜悪無惨である。しかし猶、人間は、人間の善意を信じないでは生きていく事はできない。」という「羅生門」のテーマが記されています。確かに映画は、忠実すぎるほど忠実にこの主題を踏襲して作られています。しかし同時に、この身も蓋もないくらいペシミスティックな世界観からははみ出してしまう異様に突出した部分が観客に迫るのも、この映画にほかなりません。〈映画『羅生門』展〉は、それを改めて辿る契機にもなっています。
森の中でのカメラの動きをヴェネツィア映画祭は〈映画が初めて森の中に入った〉と評しましたが、この映画の森はそんな表現ですら穏当にすぎるほどの、狂気に近い執念で映像化されています。カメラの移動のために敷いたレールを跨ぐように俳優に歩かせて視界を横切らせる。あるいは、俳優をカメラを中心に円を描くように延々と歩かせて、深い森に分け入る時間を見せる。それらの場面は、森という異界が人の官能を狂乱的に煽り立てる過程を描き出します。またダイナミックな動きとは逆に全ての動きを止める静謐をつくり出すことで、思いもよらぬ情動が蠢き出す場面を生み出しもしています。
この図録の白眉とも言うべき野上照代(スクリプト)と紅谷愃一(録音)の証言は、雨や光や風を表現主義的とも言える異形の映像にするための技術や工夫を語っています。降らせる雨には墨汁を混ぜて羅生門の暗さを演出する。森の中ではレフ板の代わりに鏡で強烈な光を人に浴びせ、さらには網の上に枝葉を乗せて木漏れ日の光と影を顔に投影する。森の光が人を欲望の淵へと導く様を見せているのです。さらに、早坂文雄の音楽は吹き過ぎる風に蠱惑的な響きを添えて、人を予想もしない変容に駆り立てていきます。
映画に異常な瞬間はなかなか生まれてくれません。異常な場面を生み出すためには異常な発想と異常な作業が不可欠で、そのために黒澤組という異能な集団を必要としたことを、この展覧会は伝えてくるのです。
EXHIBITION INFORMATION
公開70周年記念 映画『羅生門』展
◯開催中~2020年12月6日(日)
会場:国立映画アーカイブ 展示室(7階)
www.nfaj.go.jp/exhibition/rashomon2020/
巡回先 2021年2月6日(土)~3月14日(日)
会場:京都府京都文化博物館2F総合展示室
※展示内容は一部変更になる場合があります。