ウェス・アンダーソンの9作目の長編、そしてストップモーション・アニメ作品としては「ファンタスティック Mr.FOX」(2009年)に続いて二作目となる「犬ヶ島」の舞台は、いまから20年後の日本のメガ崎市である。……〈メガ崎市〉? つまり、「犬ヶ島」の舞台は日本のようで日本でない。アンダーソンが黒澤明や宮崎駿の映画への敬愛をこめて生み出したどこか、である。
そこでは〈ドッグ病〉なる犬が罹患する感染症が蔓延しており、人間への感染を防ぐため犬たちは〈犬ヶ島〉に隔離される。12歳の少年、小林アタリは愛犬であるスポッツを救うために犬ヶ島に降り立ち、そこで出会った犬たちとともに政府の陰謀に立ち向かっていく……。そう、「犬ヶ島」は「ファンタスティック Mr.FOX」と同様、まず何よりも心躍る冒険活劇である。
だが、舞台が変われば音楽も変わる。スコアを担当したアレクサンドル・デスプラはアンダーソンとは「ファンタスティック Mr.FOX」、「ムーンライズ・キングダム」(2012年)、「グランド・ブダペスト・ホテル」(2014年)に続くタッグだが、そのどれとも違っている。「犬ヶ島」で大きくフィーチャーされているのは和太鼓だ。
その力強くも柔らかい打音を放つ和太鼓は奇想天外な活劇に日本的なムードを与えているが、しかし、デスプラは必ずしも伝統的な手法に則らなかった。サックスやクラリネットをはじめとした管弦楽器を合わせることで、西洋的なオーケストラと日本的なリズムが混交する不思議な風合いを醸しているのだ。それは、日本人の俳優たちが日本語で話し、犬たちが英語で話すこの奇妙な〈日本〉を見事に表現したものであるだろう。
デスプラは「シェイプ・オブ・ウォーター」のスコアでアカデミー賞作曲賞を受賞したことも記憶に新しいが、それぞれの映画世界の個性を演出するのが抜群に巧いコンポーザーである。また、米国出身のコンポーザー/ミュージシャンである渡辺薫が迫力のある和太鼓の演奏を聴かせたり、黒澤明の映画「酔いどれ天使」に使用された“小雨の丘”の哀愁漂う調べが引用されたり、あるいは「七人の侍」の楽曲がオーケストラ・アレンジで演奏されたりするのだが、それも日本文化の精緻な参照と言うよりは、アンダーソンが偏愛する〈日本〉を映画に溶けこませたことにより生まれたものだ。それらの音楽をエンジンとして、少年と犬たちの冒険――虐げられた者たちの誇りを懸けた闘い――は止まらずに動き続けるだろう。
けれども、「犬ヶ島」にあるのは冒険だけではない。ここには深い悲しみと痛みがある。孤児であるアタリは自分のことを〈Stray Dog(野良犬)〉と定義する(もちろん、黒澤明の「野良犬」への言及だ)チーフと心を通わせていくことで、お互いの傷を分かち合う。これはアンダーソンの映画に通底する主題だ。あらかじめ欠落を持つ者たちが出会い、触れ合うことで、それを埋めるのではなく静かに受け止めていく。アンダーソンの映画では常に、そうした行き場のない感傷がクラシック・ポップの挿入とともに表現されてきた。
60年代や70年代のヒット・ソングが浮かび上がらせるノスタルジックな輝きは、うまく生きられない登場人物たちの悲しみと呼応する。「犬ヶ島」において使用される英語のポップ・ソングはたった一曲、ウェスト・コースト・ポップ・アート・エクスペリメンタル・バンドによる66年の楽曲“I Won't Hurt You”のみとなっているが、それもまた、確かにアタリとチーフの旅に寄り添っていく。そのビタースウィートなサイケ・フォークの小品は、〈僕はきみを傷つけたりはしない〉と繰り返す穏やかなメロディによってふたりを永遠の友愛で結びつけることだろう……。
「犬ヶ島」は紛れもなくウェス・アンダーソンの映画であり、と同時に、誰も知らない〈日本〉を描いたファンタジーである。だからここには、誰も聴いたことのない〈日本〉の、タフで、少しばかり切なくて、愛らしい音楽が収められている。