コラム

三浦環『伝説のオペラ歌手』朝ドラ「エール」の双浦環のモデル、その世界レベルの才能の一端に触れる

「蝶々夫人」本邦初公演(1936 年、歌舞伎座)、永田絃次郎のピンカートンと。

永遠を生き続ける〈The 蝶々夫人〉、三浦環の歌声

 昭和の大作曲家、古関裕而(1909-1989)をモデルにしたNHKの連続テレビ小説「エール」で柴咲コウ演じる世界的オペラ歌手・双浦環のモデルはもちろん、三浦環(1884-1946)だ。日本コロムビアはドラマで注目された機会をとらえ、三浦が同社に録音したオペラアリアや東西の名曲や、古関作品“船頭可愛や”などの音源20曲を集めたコンピレーション盤、『三浦環~伝説のオペラ歌手』を2020年10月21日に発売する。

三浦環 『三浦環~伝説のオペラ歌手』 Columbia(2020)

 環が突然、妙な存在感とともに現れたのは1993年。風間トオル主演の映画「わが愛の譜~瀧廉太郎物語」(東映=澤井信一郎監督)で東京音楽学校(現在の東京藝術大学音楽学部)の後輩、柴田(三浦の旧姓)環が奏楽堂で“荒城の月”を歌い、周囲を圧倒する場面だった。環を演じたのは、佐藤しのぶ。前後して〈生前最後のマネージャー〉であるロッキー高橋(高橋巌夫=1917-)が私のオフィスに現れ、環はさらに〈生身の人間〉へと近づく。極め付けは2006年、ドイツ・バーデンバーデンの高級老人ホームで第二次世界大戦中のバイロイト音楽祭で活躍した指揮者ハインツ・ティーチェン(1881-1967)の夫人、ベルリン国立歌劇場プリマ・バレリーナだったリーゼロッテさん(当時97歳)を取材したときだ。

 「私が14歳のとき、本物の日本人が“蝶々夫人”を歌うことになり、幼い弟が子役を頼まれた。弟が初めて見る東洋人に怯えるので私、『日本人の奥歯は純金でできている』を嘘をつき、弟がチョウチョウさんの顔を食い入るように見つめる〈名演技〉を引き出したのよ」

 プッチーニが“蝶々夫人”をミラノで世界初演したのは1904年。10年後の1914年、夫とともにドイツへ渡った環は翌1915年に主役チョウチョウさんを初めて手がけ、1935年に帰国するまで2,000回も演じた。トッレ・デル・ラーゴのプッチーニ宅には環の写真が飾ってある。

 今日の基準だけで環の歌を論じるには正直、無理がある。だが3歳で日本舞踊、6歳で長唄と箏曲を始めた基礎が日本人の立ち居振る舞い、しっかり通る声の土台を強固なものとし、世界に通用する才能を育んだ実態は、古い録音を介しても十分に理解できる。

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