自由な雰囲気と自然な表現が満喫できるコラボ作
1970年代から80年代にかけて、CTIや自身のタッパンジー・レーベルで数々の名盤を制作し、その後はフュージョン界のオールスター・バンド、フォープレイで活躍を続けるピアニストのボブ・ジェームスと、1990年代のデビュー以来、ボサノヴァからヒップホップまで幅広い音楽性を発揮してきたジャズ・トランペッターで、チェット・ベイカーに心酔するシンガーでもあるティル・ブレナーが手を組み、アルバム『オン・ヴァケーション』を発表した。本稿は、アルバムについてティルに行った取材を基にしている。
ティルとボブが出会ったのは14年前、スペインのマドリッド近くでチャック・ローブやウィル・リー、マイケル・フランクス、デイヴィッド・マクマレイとのオールスター・バンドで共演した時だった。ティルはもちろん、ボブの作品のほとんどを知っていたが、彼がバックステージでウォームアップしている時の、構えることなく気持ちが素直に出た演奏を聴いて、体が震えるほどの衝撃を受けたという。そして、2年前に北ドイツのカンペンで開催されたジャズ・フェスティヴァルで再会し、一緒にアルバムを作ろうという話になって実現したのが本作というわけである。
ティルはもともとピアノが大好きで、偉大なピアニストと共演すると、それまでに経験したことのない次元で演奏できるのだという。その偉大なピアニストのひとりであるボブは、チェット・ベイカーの『シー・ワズ・トゥー・グッド・トゥ・ミー(枯葉)』(1974年)での演奏でも、ティルに刺激を与えていた。
ルイ・アームストロングの名演で知られる“ベイズン・ストリート・ブルース”やニール・ダイアモンドのヒット曲“セプテンバー・モーン”などのカヴァーから、アルバムのための書下ろしのオリジナルまで14曲を収めた『オン・ヴァケーション』の録音は、2019年9月に南仏プロヴァンス地方のサン・レミにある〈ラ・ファブリーク〉という、築200年ほどになる荘園領主の邸宅内に作られたスタジオで行われた。アルバムではリラックスした空気感と自然な表現が楽しめるが、それは時間に追われることなく、曲に応じてハーヴィー・メイスンをはじめとする3人のドラマーと2人のベーシストを使い分ける贅沢も許された心の余裕と、シャルル・アズナヴールやニック・ケイヴなども使用した由緒あるスタジオが醸し出す、創造的な雰囲気の賜物だと言えるだろう。
ちなみに、50年代のアメリカのファッション雑誌を思わせるアルバムのカヴァー写真は、インスタグラムに写真専用のアカウントも持つティル自身によるもので、彼の多面的な才能がうかがえる。