Photo by 松井康一郎

ポストバブルが生んだ音の魔術師

 いつの頃からだったか、テレビのドラマを〈聴く〉のが楽しみになっていた。どのドラマからだったか判然としないが「SP」だったかもしれないし、「新参者」だったかもしれない。いや、「ガリレオ」だったろうか。いずれにしても突如としてテレビから素晴らしい音楽が鳴っていることに気がついた。そしてあるとき突如、そのほとんどすべてが同じ作家の手によるものだと気がついた。つい最近も「菅野祐悟って知ってる?」と、ある音楽家にこの名前を告げた時、「あー、『SP』の音楽やった人でしょ、あの人やばいね!」という反応がかえってきた。今年、大河ドラマ「軍師官兵衛」の音楽すべてを手がけるこの36歳の作家は、気がつけば多忙を極める人気作家である。

 「年間で大体300曲、昨年の12月は40曲くらいあげました。3ヶ月で120曲くらいでしょうか。(そんな数どうやってかき分けるのですか?)ひとつひとつ終わらせていくのですが(笑)、たとえば洋服のトレンドって毎年かわるじゃないですか。でも服自体は基本的な仕様はかわらないでしょ。僕の場合はオーダーメイドで、この女優さんのために服をつくる、というのと同じなんです。仕様は同じでも作品が違えば雰囲気も違うわけだし、このドラマのために完全にフィットするものをつくる。それに、たまたまやらせていただいているドラマの大半が注目度の高い作品なので、多くの人に共感していただけて、今のトレンドを感じてもらえたらと思っています。最先端のトレンドを皮膚感覚でおっかけてこそ磨ける情報やスキル(のヒント)というのもあるんですが。でもそれ以上に必要なのはもちろんインプットですけれど」

菅野祐悟 『NHK大河ドラマ 軍師官兵衛 オリジナル・サウンドトラック Vol.1』 ソニー(2014)

菅野祐悟 『thanks! ~菅野祐悟 ベストセレクション~』 ソニー(2014)

 幼い頃からキース・ジャレット、ビル・エヴァンスなどのピアノのジャズに親しんだ。中学で吹奏楽をたしなみ、ホルスト、ストラヴィンスキーなどの映像よりのクラシック音楽を演奏することが大好きになった。高校生で、ラヴェル、ドビュッシー、フォーレなどのフランスの音楽の洗礼を受けつつ、TMネットワークをバンドでやってみたりしていたという。70年代の生まれだから、もっぱら90年代の音楽に共感した。大学時代にはMisia、宇多田ヒカル、CHARAといったR&Bやクラブの音楽にはまったそうだ。しかし、ずっとインストゥルメンタルの音楽が好きだったという。

 「学生の頃、インディ−ズ映画のために音楽を書いたりしていました。その頃はジョン・ウィリアムズをよく聴きましたが、残念ながら彼の作品はそう簡単には再現できないじゃないですか、オーケストラはつれて来れないので。それに比べるとニーノ・ロータの音楽とかだと編成も大きくなく再現できやすいですよね。そういう編成で曲を書いて音大時代に住んでいた6畳くらいの部屋で録音していました」

 十分なインプット、さらに現場の経験が純分に積まれたとしても、今回の大河ドラマでは、50年つづく大河ならではの伝統や格式も音楽に反映されなければならないというトレンドを超えた表現も求められたのではないだろうか。

 「視聴者の求めているクオリティがあり、そしてまた歴代の作家が力を入れて書いてきた50年という歴史のプレッシャーはありました。しかし最先端のトレンドを追いかけている僕にしかかけない大河の音楽を書いたつもりです。重厚かつもっとも新しいオーケストラの音楽を劇伴音楽として提案したいという気持ちでつくりました」

 すでに放送が始まっているドラマだが、はっとするような素晴らしい瞬間が、官兵衛こと万吉が母の通夜の席のシーンに訪れた。サントラでは“万吉の決意”とあるトラックだが、コーラスの使い方が絶妙だ。この曲がその後なんど流れるのか知る由もないが、この繊細で非常に大胆なオーケストレーションは、ドラマに大変な深みを与えていたと思う。

 こんな彼らしい表現が随所にちりばめられており、様々なアイデアが光る素晴らしいオーケストレーションを是非、お茶の間で楽しんでいただきたいところだが、彼は毎年コンサートも開催している。「普段はTVのスピーカーを通して聞くことの多いドラマの音楽の世界だからこそ、生で演奏し自律した作品としても楽しんでほしい」という表現者としての欲がテレビを超えた場所での活動を実現してきた。聞けばオーケストラのための作品の委嘱もひかえているという。まさにコンテンポラリーな現場で生まれつつある新しい表現に、注目していきたい。