65年東京イイノホール、伝説として語り継がれたコンサートがついに日の目を見る!

田中希代子, 安川加壽子 『ラザール・レヴィ追悼演奏会 2台ピアノの競演』 King International(2021)

 敗戦・焼跡・闇市の日本に最初に来演した世界的奏者はメニューインだ。彼はヨーロッパにも逸早く楽旅していた。その義侠は〈戦犯〉フルトヴェングラーを指揮台に迎えた1949年のルツェルン音楽祭のブラームスの協奏曲の名盤が、いまも燦然と伝えている。次がレヴィで愛弟子・安川加寿子の縁で来日し、公開講座やレッスンに加え、50年10月に日本交響楽団(現N響)定期で尾高尚忠指揮でシューマンの協奏曲を弾き、日本ビクターにSP数曲を録音した。安川の縁で続いてガロア・モンブランとジョワも来日、デュオのほかに、ジョワは安川とデュオも公演した。それぞれのSP録音も残っている。

 当時ホルヘ・ボレは占領軍兵士として日本に進駐していた。ヘレン・トロウベルは占領兵の慰問にきて、神田の共立講堂で一回だけ日本人向けに歌った。1952年春の占領終結前後にはヒュッシュ、その秋にコルトー、翌春にはシゲティ、ギーゼキングら、さらに1954年にはバックハウスらが、続々来日する。SPで戦前から広く知られた彼らに比して、日本盤のレコードがなかったレヴィは教育者の面がより強調されたが、しかし少数の聴衆となによりも安川ら多くの愛弟子の敬愛を集めて、その後も日本を訪れていた。

 64年に没した恩師を偲び、安川・高橋幸子・平尾はるな・野辺地勝久・山根美代子・田中希代子、錚々たる高弟が開いた追悼演奏会の、レヴィ愛奏のデュオ4曲は、選曲・演奏、そしてモノだがクリアな録音も、素晴らしい、の一語に尽きる。最初のブゾーニ編のモーツァルトによるデュオ曲の冒頭一音で、これが〈パリのモーツァルト〉だと思う。

 レヴィはこのタイトルの企画盤にK310の名盤がCDでも残っているが、いまとなっては入手難だろう。貴重な現役盤に50年代の仏独のラジオ録音を集めたメロ・クラシックス(MC1025)がある。運よく店頭で見つけたら、是非とも一聴をお勧めする。