英オーディション番組「Xファクター」2012年度の優勝者にして、過去3作のセールスが累計3,000万枚を超える人気シンガーソングライター、それがジェイムス・アーサーだ。2016年の“Say You Won’t Let Go”は、10か国以上でチャート1位を獲得し、ミュージックビデオのYouTube再生回数は1億回以上。彼の音楽は世界中で愛されている。

そんなジェイムスにとって約5年ぶり、通算4作目となるアルバム『It’ll All Make Sense In The End』がリリースされた。トラップのビートとアコースティックサウンドを重ねるなど音楽的な挑戦を試みつつも、喪失感や傷心を隠さない歌は、さらにパーソナルな深部を表現。歌い手/音楽家として新しいステージへと進んだことを告げる本作について、音楽ライターの新谷洋子がキャリアを掘り下げながら、その魅力に迫った。 *Mikiki編集部

JAMES ARTHUR 『It’ll All Make Sense In The End』 Columbia(2021)

 

メンタルヘルスの問題を抱えた音楽家の平坦でない歩み

 まるで近未来SF映画のポスターみたいなジェイムス・アーサーのニュー・アルバム『It’ll All Make Sense In The End』のジャケットで、彼が向き合っているのは、少年時代の自分自身なのではないかと思う。音楽を愛しミュージシャンに憧れていたその少年はいまや、問答無用のポップスターへと成長した。しかし波乱の10代を送り、メンタルヘルスの問題を抱えたままショウビズの表舞台に立ったジェイムスの歩みが平坦ではなかったことは、広く知られるところだ。

88年、イングランド北部のミドルズブラにて労働者階級の家庭に生まれた彼は、両親の離婚を経て母に育てられるのだが、非行に走り16歳のときに家を追い出されて、友人宅に転がり込んだりホームレス生活を送ったりした末に、養護施設に入所。他人を信頼できない、あるいは自分に自信を持てないといった葛藤に苦しんでいたという。その後、高校をなんとか卒業して音楽界を志したもののなかなか芽が出ず、行き詰まっていたときに挑戦したのが、オーディション番組「Xファクター」だった。同番組のコンテスタントとしては珍しいダークな佇まいと、憂いに満ちたソウルフルな歌声で注目を浴びたジェイムスは、度々起きたパニック障害を乗り越えて第9シーズンで優勝。ブレイクビーツに程よくナマ音を重ねたソウルポップアルバム『James Arthur』(全英最高2位)を2013年にヒットさせて、華々しいデビューに至るのだ。

「Xファクター」でのパフォーマンス
 

ところが環境の変化やプレッシャーに対処できず、暴言・失言を繰り返した彼は、早くもレーベルとの契約を切られて危機に直面。酒や薬物に溺れたこともあり、一時は再起が危ぶまれたほどだった。それでも地道にライブを行ない、自分の弱さを吐露し赦しを請う真摯な曲を綴ってセカンドアルバム『Back From The Edge』(2016年)を作り上げ、タイトル通りに崖っぷちから生還する。ルーツ音楽の影響を重厚なサウンドに映した同作は地元でナンバーワンに輝き、世界的な大ヒット・シングル“Say You Won’t Let Go”で全米ブレイクも達成。2019年発表のサードアルバム『You』(全英最高2位)では実体験にこだわらないストーリーテリングで聴き手との対話を試み、より軽やかな音色も相俟って、「Xファクター」時代からひきずっていた影を少し払拭したように見えた。

2016年作『Back From The Edge』収録曲“Say You Won’t Let Go”
 

しかしそれも束の間、トラブルがまたもや噴出したのは2020年初めのこと。ツアー中に重度のパニック障害に襲われ、続いて急病で入院する羽目になり、いったんは回復してステージに復帰したものの、間もなくしてロックダウン生活に突入。パンデミックが世界中の人々の心に悪影響を及ぼしたことはご存知の通りで、元から脆い部分を抱えていたジェイムスはひとたまりもなくメンタルヘルスを悪化させてしまったようだ。

 

エモ系パンク × トラップ以降のラップ

そこで、今度こそ徹底的に自分の心の闇の部分を掘り起こそうと決意し、じっくりセラピーを受けるとともに、新たな曲作りに着手する。そういう経緯においては、『It‘ll All Make Sense In The End』は『Back From The Edge』と似た性質の作品なのかもしれない。自宅にスタジオを設けて曲を練った彼は、過去にもコラボしたTMSやレッド・トライアングル、或いは初顔合わせのマーク・ラルフほかのプロデューサーたちとレコーディングを敢行。一か所に留まって集中して制作しただけあって、これまでで最も完成度が高く、かつ一貫性のある、非常にアルバムらしいアルバムを完成させている。

そう、古典ロックにソウル、ヒップホップ、グライム……と幅広い守備範囲を誇り、時折ラップも交えて作品ごとに路線をシフトしてきたジェイムスは、本作でさらなる進化を見せ、ロックンロールなギターサウンド × トラップのビートというスタイルで全編を統一。ディープな声質を強調したラップの分量を増やし、下積み時代のバンド活動で大いに影響を受けたというテイキング・バック・サンデイ(『You』ではフロントマンのアダム・ラザーラと共演している)やブラン・ニューほかエモ系バンドと、ポスト・マローンやトラヴィス・スコットといったアーティストから得たインスピレーションを独自の解釈でクロスオーバーさせて、昨年来の精神状態のアップダウンを、ライトとダークを鮮やかに対比させた14曲に描き出している。