アンソニー・ホプキンスに2度目のオスカーをもたらした認知症をテーマにした傑作!

 私アンソニーは80歳、自宅アパートで独り暮らしをしている。ある朝起きると、ソファに見知らぬ男が座っている。聞くと、その男は娘の夫ポールだという。おまけにここは私のアパートではなく娘夫婦のアパートで、私は娘夫婦の世話になっているというではないか。訳が分からない。娘に電話だ。帰宅する娘。……ん、あんた誰だ?(※私の娘とは容姿が別の女性)。パニックになる私。娘を名乗る女がパニック中の私に声をかける。ポールという夫はいないし、第一その見知らぬ男はどこにいるの?と。今はキッチンにいる。確認をしにキッチンに向かうと……いない。どこにもいない。何がどうなっているのだ?

 映画全編こんな感じである。突然娘の容姿が変ってしまったり、見知らぬ男が現れては消えてしまったりとまるでデヴィッド・リンチのような世界だが、実は認知症の主人公の一人称視点で見た世界の映画なのである。観客は、〈不条理〉な認知症の世界を体感しつつ、本作が事象から真実を探り当てる〈ミステリー映画〉でもあることを理解することとなる。

フロリアン・ゼレール, アンソニー・ホプキンス 『ファーザー』 インターフィルム(2021)

 2012年発表の戯曲を原作者フロリアン・ゼレール自身が映画化。アパート室内のシーンごとの変化(衣装や小道具はもとよりセットの色合いまで変わっていく!)と、それを提示する撮影、衣装、美術などの高度な技術。それを纏め上げる初監督とは思えないゼレールの手腕。全てに舌を巻かざるをえない。

 そして何より、本作で2度目のアカデミー主演男優賞を受賞したアンソニー・ホプキンス、娘を演じたオリヴィア・コールマン(「女王陛下のお気に入り」でアカデミー賞主演女優賞も記憶に新しい)の役者陣の凄みをあらためて実感していただきたい。

 認知症を〈内〉から描いた映画であると同時に、人間の〈脆弱さ〉を見つめた映画でもあることも付け加えておきたい。こわれゆく主人公に自身を重ねつつ、主人公=自身をもう一人の自分が俯瞰で見るような〈他人事〉ではない映画でもある。必見。